小さなテクノロジーと日用品を組み合わせたインスタレーションで「人工」と「自然」との新しい関係性を構築する毛利悠子(1980年神奈川県生まれ)。今夏開催される2つの芸術祭(札幌国際芸術祭2014・ヨコハマトリエンナーレ2014)に加え、F/T(フェスティバル・トーキョー)にも参加が決定するなど、その活躍の場は広がり続けている。現在制作の真っ只中にある毛利のアトリエで話を伺った。(取材・文/橋爪勇介)
―まずは作品の着想について教えてください。
毛利悠子(以下毛利) もともと多摩美時代から、テクノロジーやサウンドを扱った作品を制作していました。他の学科の学生が油絵を勉強するように、私はニューメディアを専攻していたんです。三上晴子(※1)さんのもとで、絵具とか大理石の延長で新しい機材を使った表現を勉強していて、日用品とはかけ離れた、例えばスピーカーや最新のデジタルデバイスを使った制作を目指していました。あとは、カールステン・ニコライ(※2)や池田亮司(※3)さんの作品を見たりとか。
もともと、音楽がすごく好きだったんです。それで多摩美のシラバスを見たら「サウンド・アート」という授業があるのを知って、「サウンドもアートになるんだ!」なんて感動して。具体的には、サウンド・アートというのがいったい何なのか、よく理解してはいなかったんですけど(笑)
―美術より音楽に興味があった?
毛利 どちらかというとそうですね。だからハイカルチャーよりサブカルチャーが好きというか近しくて。バンドとか漫画、このあいだの「拡張するファッション」展(水戸芸術館現代美術ギャラリー)を観て懐かしさでいっぱいになったんですけど、ホンマタカシさんが撮影の対象としていたX-girlやSonic Youthのような当時のユースカルチャーが高校時代のアイドルだった、典型的な感じの青春時代です。そういう、音楽もグラフィックもファッションもひっくるめたカルチャーに憧れを感じていて、サウンド・アートならそれが表現できるかもしれないと思ってた。現実は全然違いました(笑)
―音楽の道に進もうとは思わなかったのですか?
毛利 入学してしばらくはバンドもやってたんですよ。即興ハードコア・バンド(笑) その頃からキーボードを分解して足で弾けるようにするとか、そういうことばかりしていたのですが、あくまで実験的なもので、表現として確立していないし、結局「パワーや勢いで押しきる」みたいな感じだったので、この表現を一生続けるというリアリティはありませんでした。音楽は聴いてるほうが好きだし、もっと言うとライブハウスの雰囲気やミュージシャンを取り囲む空気感が好きだったんです。大友良英さんのライブなんかも見にいっていたのは、実験的なところが肌に合ったんだと思う。
―後に大友さんと共演することになるとは思いもしなかったのでは?
毛利 そうですね。おそらく、たまたま大友さんはいろいろな方法を模索していた時期だったと思うのですが、2005年、大学院に入ったばかりの私、あとは梅田哲也くんや堀尾寛太くんといった同世代のアーティスト同士が、テクノロジーと音具を使ったインスタレーションのグループ展を自主企画したことがあって。会場は大阪の赤レンガ倉庫でした。それを大友さんがわざわざ観にきてくださって、「ミュージシャンがいないのに音が鳴るんだ」なんて面白がってくれたんです。それが後のアンサンブルズ(※4)に繋がっていったんですね。
―最近ご自身の作品について「人工」と「自然」の組み合わせという言葉で表現されることがありますが、その理由をお聞かせください。
毛利 自分の作品を人工と自然との新たな関係性という観点で説明できそうだというふうに考えが至ったのはバルセロナで滞在制作した《サークルズ》あたりからです。それまでは、考えるよりも先に勘どころのようなものにまかせて制作していたところもあって。今から考えると、先に言ったような「ライブの空気感=atmosphere」に抱いていた興味からの延長で、空間、あるいは音や現象を作ることに繋がっていたのだと思います。
私の作品はそもそも、風とか光、微弱な磁力といった自然の力をきっかけにしてオン/オフのスイッチングが起こるような装置になっているし、そのオン/オフによって動く小さなオブジェも、長いあいだその場に置かれるうちに、だんだんと展示空間に棲まうように馴染んでくるんです。まるで「けもの道」のようなもので、たとえば、振動モーターの先に付いた羽根が動く範囲だけは積もった埃が取り払われるから、何日も置いていると、うっすら円の軌跡が見て取れるようになったりする。
プログラムを完璧に組んで、すべてを支配下に置くことで強みを出す作品とは違って、私は、その場その場に存在するatmosphere=コントロール外の現象(重力、磁力、重さ、軽さ)を引き入れながら空間を作っていくんです。無個性に思われているホワイトキューブにも、それぞれ違ったatmosphereがあるから、テクノロジーを使ってそういったところを際立たせて……。借景というか、ある種、「日本庭園」の作庭に近い作業なのかもしれないです。環境すべてを完全にコントロールすることはできないからこそ、作家であるはずの自分も、ライブ空間におけるオーディエンスのようになれるのかもしれませんね。
―毛利さんの作品はずっと見ていられる不思議な魅力がありますね。
毛利 ありがとうございます。風が吹き抜けるときに心地良く感じる、そういうのと同じなんでしょうかね…。いずれにせよ、既にある諸現象と自分が制作したオブジェとの関係性を、その場その場で作りなおすから、私のは「オブジェだけ」が作品なのではなくて、「どういう場所に置かれるか」、「どういうきっかけで動くか」というところまでが作品。だからこその「インスタレーション」なんです。
(※1)三上晴子…アーティスト、多摩美術大学 メディア芸術コース教授。1984年から情報社会と身体をテーマとした大規模なインスタレーション作品を発表。 90年代から2000年までニューヨークを拠点に主にヨーロッパとアメリカで数多くの作品を発表してきた。
(※2)カールステン・ニコライ…1965年旧東ドイツ県生まれ。形式やジャンルを越えた総合的な芸術に取り組んでいる。自然科学的な法則や規則に影響を受け、グリッドやコードといった数学的なパターンや、エラーやランダム、そして自然の自己生成システムといったものを活用して制作。2014年には文化庁メディア芸術祭アート部門で大賞を受賞。
(※3)池田亮司…1966年生まれ。ミュージシャン・現代美術家。パフォーマンス集団ダムタイプ(Dumb Type)の舞台音楽を担当。音響メディアと視覚メディアの領域を横断して活動する数少ないアーティストの1人。
(※4)アンサンブルズ…音楽家・大友良英が2008年に始めた協働プロジェクト。09年には「ENSEMBLES’09/休符だらけの音楽装置」として東京、京都、水戸でいくつもの展示・コンサートを展開、毛利は秋葉原旧練成中学校屋上(現アーツ千代田3331)での「休符だらけの音楽装置」に参加した。また水戸芸術館での「アンサンブルズ2010―共振」(大友良英+菊地宏+堀尾寛太+青山泰知+中崎透+矢口克信+五嶋英門+毛利悠子+近藤祥昭+高田政義)(10年)、東京都現代美術館での大友良英リミテッド・アンサンブルズ (大友良英+青山泰知+Sachiko M+堀尾寛太+毛利悠子)「with “without records”」(12年)にも参加。