無縫の天衣にひそむ手縫いの細部
馬場駿吉(名古屋ボストン美術館館長)
「柳澤紀子展―転生の渚」(浜松市美術館、公益財団法人平野美術館 同時開催)は、これまでに美術館で開催された柳澤展中、最も多い作品数で構成し、これまでの歩みを振り返り、最新の到達点を開示するというもの。
柳澤紀子は東京藝術大学在学中、ゴーギャンの木版画「ノアノア」から電撃的な感銘を受けた。それを機縁に駒井哲郎の薫陶下、銅版画家としての才能を開花させ、現在も優れた版画作品を発表し続けている。その一方、静岡県立美術館の「水邊の庭(スイヘンノニハ)」(2009年)の個展に引き続いて、今回もミクストメディアによる大作を精力的に制作し、版画に限定されない自由闊達な作品群も併せて多く出展することになった。
柳澤の作品世界には、古代から現代に至るまでの様々なイメージが身体を一つの舞台として交錯し響き合う。それらを思い浮ぶまま書き出してみると、代表的な古代生物化石アンモナイトの紋様が、人類発祥の地霊を呼び起こすかのように、アフリカにルーツを持つ青年の肌のイメージ上に描き重ねられる。飛翔願望挫折の青年の背に残された片方だけの翼―その鮮やかな彩りは、彼がまだ絶望の外側にいることを示している。柳澤は現代の不安を描きつつもその色彩に一穂の希望を托すのだ。このほか行方が定まらず漂流する無人廃船のイメージは3・11の津波被害によって現実のものとなった恐ろしいほどの予見性。さらに“Test Zone”という核実験に際しての汚染危険域を指す用語を題名とするミクストメディアのシリーズはすでに2006年から開始されていたことに驚く。3・11以後に描かれた同シリーズの〈Ⅲ〉は放射能に仆れた鹿を踏まえて、すでに絶滅したニホンオオカミが悲痛な面持ちでこちらを見据えている。このように柳澤紀子という美術家の透徹した意識の渚で掬い上げられた社会現象のイメージは擦り傷が洗い浄められ、色彩が補われて再び社会へと環流されるのだ。
一方、彼女の版画への志向は今なお少しのゆるみもなく、熱く一身にみなぎっているのが感じられる。大作のエレメントとなる細部へ凝縮されるエネルギー。個人から個人へと何かを伝えるチャンネルとしての版画の力―あのゴーギャンの木版画の一鑿一鑿の痕跡からメッセージを手渡しされたように感じた若き日の記憶を、柳澤紀子は決して忘れてはいない。無縫の天衣のように見えるミクストメディアの世界と、手縫いのような精緻な版画の世界を往還する眼で今回の展示を観ることによって、柳澤紀子の画業の全体像を統合することが出来るだろう。
第1会場:浜松市美術館
【会期】 2013年2月23日(土)~3月31日(日)
【会場】 浜松市美術館(静岡県浜松市中区松城町100-1)☎053-454-6801
【休館】 月曜 【開館時間】 9:30~17:00
【料金】 大人800円 高校生・大学生・専門学校生400円 中学生以下無料
【関連リンク】 浜松市美術館 公式ホームページ
第2会場:平野美術館
【会期】 2013年2月23日(土)~3月31日(日)
【会場】 平野美術館(静岡県浜松市中区元浜町166)☎053-474-0811
【休館】 月曜 【開館時間】 10:00~17:00
【料金】 一般500円 高校・大学専門学生300円 中学生以下無料
【関連リンク】 平野美術館 公式ホームページ
記念対談「柳澤紀子×森山明子(デザインジャーナリスト・武蔵野美術大学教授)」
2月23日(土)14:00~15:30
【会場】 浜松市美術館2階講座室
※ 定員80名程度、申込不要、要観覧料
特別講演会「作家によるレクチャー」
3月3日(日)14:00~15:30
【会場】 平野美術館 【講師】 柳澤紀子
※定員先着30名(中学生以上)、要事前申込、要観覧券
「新美術新聞」2013年2月21日号(第1304号)1面より