現代の美人画家として注目されている池永康晟(1965年大分県生まれ)の新作展が、7月5日から17日まで髙島屋新宿店10階美術画廊で開催される。今回は池永と、その作品を20年以上見つめてきた旧知の友人でありUAG美術家研究所の松原洋一に、現代の美人画のあり方などについて語ってもらった。
松原:最近すごい人気ですね。今年のアートフェア東京(3月16日~3月19日、東京国際フォーラム)ではお客さんが殺到したとか。
池永:開場前から長い行列ができてしまいました。その時点で適切に対応すべきだったのですが、できませんでした。開場後に混乱を招いてしまい、大変ご迷惑をかけてしまいました。
松原:安全面では万全を尽くさないといけませんが、新作を求めてファンが押し寄せるなんてすごいですね。バブルの頃みたい。ほかに、出版物も好調みたいですね。
池永:昨年末に刊行した監修本『美人画づくし』(芸術新聞社刊)は3刷を数えました。若い日本画家18名を紹介するこの画集は、美人画の復興をたくらむ私の念願でした。今後も積極的に出版に関わっていきたいと思っています。
松原:池永さんが人気になった要因のひとつに、インターネットがあると思います。15、6年前になりますが、僕がAll About(オールアバウト)で日本画サイトをやっていた頃、まだネットが今みたいに普及していなくて、リンクの申請をすると、せっかく作ったページにリンクするなって怒られたり、リンクは著作権侵害にあたるなんていう、今では考えられないような苦情や抗議を受けていました。そんな時に、池永さんは真っ先に著作権放棄っていうか、自分の絵を自由に加工して使っていいよって宣言しちゃった。
池永:その頃は日本画の三団体に出品しなければ、作品を見てもらえない時代でした。All Aboutでピックアップされるということは、無所属の私たちにとっては思わぬ大きなチャンスだったのです。だから、ウェブ上の画像については自由に使ってもらっていいと思いました。そのおかげで、中国のウェブ新聞では知らないうちに特集記事ができていて、日本の三大カルチャーとして「伊万里、池永、蒼井そら」だなんて紹介されてしまいました。
松原:美人画というのがネットにあっていたのかもしれませんね。
池永:今の美人画の流行は、ネットから始まったのは間違いないと思います。私の画集ははじめ、秋葉原から売れ始めました。秋葉原は電気街であり、おたく文化の聖地でもあるわけですから、ネットとの繋がりも強いでしょうから、美人画とインターネットの親和性は高いと思います。美人画はもともとグラビア的な「卓上芸術」なので、まさにネットで見る美人画は卓上の芸術と言えると思います。
松原:もともと「卓上芸術」という呼び方は、版画や挿絵など手元で楽しめる芸術として、鏑木清方が名付けたものですが、時代とともに美人画も文展をはじめとする展覧会に発表するようになり、「展覧会芸術」へとシフトしていきました。それが美人画衰退の一因とも言われているのですが、現代になって、ネット上で美人画が「卓上芸術」として蘇ったというのも面白いですね。
池永:美人画衰退の原因として、日常的な生活様式の変化もあると思います。明治期の美人画はまだ江戸情緒を残していましたが、時代が進むにつれ、和服で日本髪を結った女や、その髪を木桶で洗う情景はなくなってしまったわけですから、それを理想的に典型化させて描いた美人画に実感を持てなくなったのでしょう。だから、昭和で美人画は終わったのだと思います。その後も美人画といえば、そのスタイルを言うわけで、新しく描く画家が続かなかったのも当然だと思います。それが半世紀も続いてしまいました。
松原:近代美人画の系譜をみてみると、浮世絵の流れを汲む鏑木清方と、円山四条派から出た上村松園が二大巨頭で、「東の清方、西に松園」と称され、主にその系譜から美人画家が出ていたのですが、昭和中期の伊東深水あたりを最後に衰退していった感じですね。その頃から美人画の定義としては、理想的な美人を典型化させて描くというものだったのですが、僕は池永さんの絵は、その定義からはちょっと離れていると思うのですよ。作品名にモデルの名前が付けられていることからも感じるのですが、個を尊重しているというか、人物表現が主になっていると思います。そのうえで、様式美を持ち合わせているので、ある種の典型化はできていて、美人画と呼ぶことに違和感はありません。美人画の復興をたくらむ池永さんとしては、今までの歴代の美人画家をどのように見ていますか。
池永:鏑木清方は好きなのですが、やはり今の時代に実在しない女を理想的に描いていることから、清方にも上村松園にも実感がわきません。だけど、同じような時代に美人画を描いていた北野恒富には共感するものがあります。なぜか恒富に描かれた女には、生々しい感情を抱きます。
松原:恒富も内面表現を追求していますからね。彼はほかにも功績があって、多くの女性画家を育てています。門下生の島成園が大正初めに文展デビューした時は大きな話題になりました。当時は文展に入選すれば家が建つとさえ言われたほど文展は難関だったのですが、その文展に弱冠20歳の女性が入選し、しかも美女。もうマスコミなんかも大騒ぎで、「美女が美女を描く」なんて言ってずいぶん盛り上がったようです。いつの時代も同じようなことをやっています。池永さんが昨年末に監修した『美人画づくし』の登場画家も18名中16名が女性画家ですね。
池永:女が女を自然に描く時代がきたということです。私、上京してすぐに写真学校に入ったのですが、一年でやめてしまいました。その頃は、カメラがオートフォーカスになって、デジタル化された時代で、それまではカメラは男の道具だったのですが、それが男女の境がなくなる気がしました。その時に思いました。これから女がごく当たり前に自分撮りを始めたら、男はとてもかなわないって。だから写真を断念したのです。絵画でも同じようなことが言えます。今までは、女が女を描く場合、男が描く女と違うアプローチをしなければいけないという概念にしばられていました。ところが今は、自然に女が女の日常を描けるようになったのだと思います。
松原:研究者の中には、美人画の衰退はテレビの普及のためだと言う人もいます。絵で見るしかなかった美女が動きだしたのですから、それもうなずけます。
池永:当時のテレビなら動くほうがいいでしょうが、今ではずいぶん時代も変わり、アイドルが身近になって、偶像の裏側まで見え過ぎてしまっています。そろそろひとつフィルターが必要になってくるのではないでしょうか。
松原:「絵にする」というのもフィルターのひとつだということですね。アイドルといえば、以前AKB48の横山由依さんをモデルにしていましたが(※横山由依ファースト写真集『ゆいはん』にて)、有名人がモデルだと描きにくいこともあるんじゃないですか。
池永:平均顔がいちばん美しいわけです。だけど、成功しているアイドルは平均顔から外れた部分が個性であって魅力なんです、そこが愛しいわけですから、でも、それを描くのは難しかった。普段はエラーの部分を平均顔に寄せて描くわけですが、多くの人が知っている人を描く場合は、その引き算がとても難しかった。ところで、松原さんはまだ指原莉乃推しなんですね。
松原:今年のAKB総選挙も投票しちゃいましたよ。もう人気者なんだから一票くらい投票したってしかたないんじゃないかっていう、もっともな意見もあるのですが、投票せずにはいられない。そして発表の時に、僕の一票が入っていなければあの数字は変わっているんだって思いながら、しみじみと三連覇をかみしめるわけですよ。どう?
池永:どうって言われても・・・。
松原:最後になりましたが、今度の新作展の出品作を見ていると、今までよりも目線が合ってしまう作品が多いように感じます。心境の変化でもありましたか。
池永:今まで目線をそらす女を描き続けてきました。それは、不得手な恋情に戸惑う自分を描くという気持ちがあったのかもしれません。だけど、今は老いたせいか、女に救われたいと思うようになってきました。そんな気持ちの表れかもしれません。
【会期】2017年7月5日(水)~17日(月・祝)
【会場】髙島屋新宿店10階美術画廊(東京都渋谷区千駄ヶ谷5-24-2)
【TEL】03-5361-1111(代表)
【休廊】無休
【開廊】10:00~20:00 ※金・土曜は20:30まで開場、最終日は16:00閉場
【料金】無料
【関連リンク】池永康晟公式HP