■時代を彩る作家の個性
―90回記念の国展が間もなく国立新美術館で開幕します。国展の魅力とは。
島田 今年は昭和でいえば91年で、国展は1回休んでいるんです。昭和20年に空襲で。だから90回。昭和元年に第1回展(国画創作協会第2部としての回数を含む)がありましたが、その当時は「良質の芸術を育成しよう」というモットーがあったみたいですね。よく日展は5部門というけれど、国展も負けず、絵画、版画、彫刻、工芸、写真の5部門があるんです。絵画は梅原龍三郎、川島理一郎、工芸は富本憲吉とか濱田庄司、バーナード・リーチ、写真は資生堂の福原信三とか野島康三、版画も平塚運一、棟方志功、恩地孝四郎とか川上澄生、彫刻も山本豊市、桜井祐一、新海竹蔵とか、後に新制作に移る本郷新や舟越保武、そういう人が全員国画会から出ているんです。5部門を勘案すれば大変な美術史に残る展覧会ができる。だから100年展というのはそれぐらいのつもりで国立の近代美術館でも企画展をやれば、大変な人材が育ったという展覧会になると思うんです。
大沼 入場者数を日展がすごいと思っているでしょうけど、日展は開催期間が1カ月ぐらいありますからね。国展の開催期間と比較すると、国展の方が一日あたりの入場者数は多いんです。また、芸術家が何か社会に還元するために、国展はチャリティー展を継続しようと言っているんです。
■公募展の未来とは
―世の中では公募展離れという傾向があります。どのようにとらえていますか。
島田 人間が手や自分の感覚で作ったもの、例えばスマホやコンピュータで作ったものも魅力があるけれど、自らが一枚一枚作るものというのは、滅びていかないと思う。残っていくと思うんです。
大沼 皆が参加して、集まって発表することはいいことだけれども、公募展のシステムを変えるという意味ではなくて、このままの発表だとどの会もお先真っ暗という感じはしているんです。ではどう展開していけばいいのかと言われたときに、「公募展は日本の文化だ」と国展は言っているんですが、本当にそういうところに公募展を変えていかなければいけない。今、「日本の文化はマンガやアニメだ」という感じからして、変えていくにはマンガやアニメ、あの辺の持つ要素が入ってくるのかな。これはそうしなければならないというのではなくて、次の展開にそうなるのかな、というふうに思っています。
島田 美術で唯一のジャーナリズムである『新美術新聞』に、日本の公募展をアピールしていくような紙面を是非がんばって作ってもらいたい。大いに期待しています。
島田章三 略歴
1933(昭和8)年神奈川県三浦郡浦賀町(現横須賀市)生まれ。57年第31回国展に「ノイローゼ」を初出品、国画賞受賞。58年東京藝術大学美術学部絵画科卒(伊藤廉教室)。61年国画会会員。67年第11回安井賞受賞。66年より愛知県立芸術大学で教鞭を執り同大教授、学長を務めた。99年日本藝術院賞受賞、日本藝術院会員。2004年文化功労者。
大沼映夫 略歴
1933(昭和8)年東京谷中生まれ。60年第34回国展に「月の肖像(腰かける人)」を初出品、国画賞受賞。62年東京藝術大学美術学部油画専攻修了。同年国画会会員。73年より東京藝術大学で教鞭を執り教授、美術学部長を務めた。85年東郷青児美術館大賞、88年宮本三郎記念賞を受賞。現在、文星芸術大学教授・副学長。
本対談は「新美術新聞」2016年4月21日号(1406号)内、「国展特集」より転載。本紙(1部500円)の購入をご希望の方はこちら。
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