“書”

     
   
ひらひらと舞う蝶が無心に花を尋ねているという。誰もいない野か庭園で見た景かもしれない。この句に出会った時、違和感を感じ乍らも蝶も花も「美しく」描いてしまいたいと強烈な欲求に押されて完成した作品だ。<br />
なぜなら無心になるのは人間にも動物にも難題に違いないからだ。

桃や李は美しい花が咲き、人々が集まってくる。その桃李のように教え子達が有徳の人となり、天下に満ちて活躍する。総じて世界で畏怖と魅惑の対象となってきた龍蛇となり、自在に飛舞する教え子たちを想い描いての筆運びだった。<br />
心より愛してきた学生たちへ。

この四字熟語は一般には世間を超越して飛躍するという意味で使われるが、私の根底には「西遊記」の孫悟空がいる。俗界を離れて自由に空の中を跳ね回る孫悟空はまさに理想の姿-彼が載っていたのはキントウン(觔斗雲)。中国で登山を何度もしたがキントウンに「これだ」とばかり出会っては感動してきた。俗世間を超えて孫悟空のように自在に空を飛び回る心地を味わえるときを想って書いた作品。
お前は人生を理解してはならない。すると人生は祭りのようになる。」リルケ<br />
「祭」とは祈りであり感謝であり、慰霊であり要は儀式だという。柳田國男は「人が解放されるとき」といい、私はかなりこれに同感していた。ところがリルケの冒頭の文言に出会った時、これこそ祭の真実だと心震え、大きな筆で一筆書きとなった。

   

 
 

内田雅峯

UCHIDA GAHO

東洋書道芸術学会評議員審査会員、国際破体書法聯合会導師、世界華人芸術家聯合会会員、
江西省人文書画院徳芸揮毫家、南京市長江書画研究院教授
 
これまでに、傅山書法精品展太原市市長賞、米芾記念系列活動書法展鎮江市市長賞など受賞。ほか、中国各地にて受賞歴多数。著書に「生徒が育つ土壌づくり」などがある。

 
     

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