めでたさも中くらいなり東京展
富井玲子
ニューヨーク近代美術館の「TOKYO 1955-1970 :新しい前衛」展が2012年11月18日に一般公開。同16日付でNYタイムズ金曜版美術欄に好意的な展評が一面トップ扱いで出て、まずは一つの成果を作った(2013年2月25日まで)。
内容は新美術新聞2012年12月1日付、光田ゆり氏の報告に詳しいが、ここでは私見を述べてみたい。
何よりもまずMoMAという規範的美術館で戦後日本美術展がついに開催されたことを率直に喜びたい。
と同時に、過去にグッゲンハイム(94年)やゲッティ研究所(07年)で開催された戦後前衛展、また筆者が関わったテート・モダンのセンチュリー・シティー展(01年)の東京セクションなどから、どれほど前進したか、という点も考えねばならない。
本展を担当したMoMAの学芸員、ドリュン・チョンは近年の日本や海外での研究動向を取り込み、50年代絵画や実験工房、日本の土着ポップともいうべき中村宏やタイガー立石などを紹介して非常に意欲的だ。また、実験映像やグラフィックデザインの紹介にも新しい視点が感じられる。
その一方で、光田氏も指摘したように「スペースの制約」のため、展示には不満足な部分が少なくなかった。
そもそも戦後日本美術のような大テーマのサーベイではスペースは常に大問題だ。しかし無限にスペースを使えるわけではないから、作品を詰め込むだけでは無理。有機的、重層的な歴史の構想力が必要となる。
せっかく企画の2本柱として「身体」と「インターメディア」を当初から考えていたのだから、そのコンセプトを際立たせながら少数厳選でも作品を活かして新しいストーリーを語る可能性もあったのではないか。
たとえば草月アートセンターは、定番のフルクサスにこだわらず、実験アニメやグラフィックデザインの試みを見せて、インターメディアへの先駆的取り組みをよりビビッドに示せたかもしれない。
また具体の場合、55年の第1回展は満を持して戦略的に東京で開催したわけで、その意義が見えてこなければ本展では蛇足になってしまう。
裏返せば「東京」というテーマに拘泥するあまり、関西もふくめた地方を対立項とした東京が立体化されず、「東京」という記号に化している。
大枠で考えると「世界の中の東京」を考える視点が欲しかった。確かに亀倉雄策のポスターで64年の東京オリンピックが参照されてはいる。だが「前衛」にとっては、国際的同時性を現前させた70年の東京ビエンナーレのほうが記念碑的かつ象徴的な意義があったはず。しかも中平卓馬の写真による同展カタログやポスターを見せればMoMAの写真コレクションの穴を補って余りあっただろう。
何より日本の60年代は「複数のモダニズム」から頭一つ抜けて、世界美術史の要になりうる存在である。その底力に呼応するような骨太の歴史力を形成する。それが今後の課題となるだろう。
「新美術新聞」2013年1月1・11日合併号(第1300号)3面より