美術と教育は物事を肯定する姿勢から
大樋年雄(陶芸家、日展会員・審査員)
いじめ、体罰、悪いニュースが絶えない。そして、これからの日本を皆が憂いている。しかし、自らの学生時代には、いじめも体罰も当然あったが、学生から教師への礼儀、先輩後輩の秩序など深く内包されていた気がする。そして、それらの問題はそのような絆によって解決されたことが多かったのかもしれない。
中国、韓国との問題が生じても、作家として私はこの両国含め、世界中を訪れながら制作を続けている。そのことの時間と労力は果てしない。しかし、そこには出逢いと発見があり、自らの古典を確認することにも繋がっている。勿論、幼い頃から自らの存在を自問してきた私には、かなりの紆余曲折はあったのだが、次第に鈴木大拙の禅の思想、西田幾多郎の哲学などを海外で読むことで、明快な答えではないにしても日本人として生かされていることに感謝できるようにはなってきた。私に欠如していた日本観は、次世代がこれからの時代に生きるためにも、必要なことかもしれない。
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30数年前のことになるが、私は前衛的な陶芸を学ぶために米国ボストン大学に留学した。随分多くの方から、伝統のない国へ何故留学するのか聞かれたものだ。陶芸も工芸も国技のように皆が思っていたからであろう。しかし、その時、私の心を拓いてくれた恩人がいた。乾由明先生は京都大学名誉教授であって、工芸、現代美術評論の第一人者であり、世界へ日本の工芸を伝え、日本に世界の工芸を伝えた人だ。私の米国留学の動機は先生の執筆によるものが大きい。森野泰明先生、柳原睦夫先生は「前衛的」な制作活動をされながら、米国、日本での教鞭によって多くの学生を育てた方々だ。私の背中をそっと押してくれたのだが、偶然にも学んだリチャード・ハーシュ教授も懇意だったのだ。当然のことだが、米国では作家として評価のある人が教育者となって教育機関に存在する。学生達は教授の人生を含め多くを学ぶ。それは、米国版徒弟制度のようでもあった。そしてまた日本にも、このような神話をもつ多くの美術家が存在している。
しかし、一流に見えていた教育者の一部には、著名作家の生き様や社会形態を敵のように攻撃する人がいたのも事実である。自らの活動を誇張しマスコミで伝えることで、人々は前衛作家と思い込んでしまった。この過大評価はインターネットの普及のない時代であり、その限られた情報は事実ではなかったことが多い。学生は何を学んだだろうか?過激な発言は学生に刺激的ではあったにしても、何かに否定的で抵抗するだけの教育であったに違いない。教授の資質が問われることなど、学生には判るはずもない。「自爆的前衛」もそこに潜んでいたのだ。
やがて日本の景気は後退した。それぞれの地域では、矛盾した発想だが、「新しいローカルな工芸」の取り組みが行われてきた。地域性、デザイン性、それぞれの意見が出されるが、後には否定的な呟きが聞こえてくる。失敗は成功のもとだが、これだけ人や世相が「自爆的前衛」を繰り返せば、ほとんどのプロジェクトが成功するはずもない。
今、日本の「工芸」における概念や領域は変わろうとしている。大きな要因には「現代美術の台頭」がある。そのことで、それぞれに既存のジャンルは揺れ動いている。金沢21世紀美術館館長である秋元雄史氏は、直島、地中美術館を立ち上げた人でもある。現代美術から工芸を捉えようとする新しい実験を始めたのだ。とても難解だ。しかし、彼の試みから我々が学ぶ現代美術には、これからの工芸の未来を示してくれている気がする。先般、訪れた韓国 リュウム現代美術館で見たアニッシュ・カプアの展覧会は、それぞれの作品との関係性、空間における美学は学ぶことがあった。
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2013年の今日。3・11での大震災によって学んだはずの日本人。新聞、テレビなどでは、日本が駄目で海外が良いという自虐的な発言が飛び交い、経済的に優位になったという勘違によって、中国、韓国を称賛する。中国、韓国などからは、日本の国宝の多くは大陸からきたものであり、茶道、工芸、陶芸などの「道」も「人」も「技」も日本独自のものではないと聞こえてくる。
今、我々に必要なことは、中国からの日本観や韓国観、韓国からの日本観や中国観など、他国を知ることではないだろうか。それを知ることで、他者をも認めた日本文化があるはずだ。法隆寺「国宝百済観音」も視点を変えれば何かが必ず観得て来るはずだ。
学生は、教育者が物事を肯定的に捉える姿勢から人生を含め多くを学ぶ。やがてその学生が教えるチャンスを得た時、教育者の絆は神話となっていく。美術と教育は本来そのような関係であるはずだ。今が、「自爆的前衛」の日本から脱却するラストチャンスかもしれない。
「新美術新聞」2013年2月1日号(第1302号)2面より
【関連リンク】 大樋焼本家十代長左衛門窯・大樋美術館