もの派の矛盾
富井玲子
1970年2月号の『美術手帖』は「発言する新人たち―非芸術の地平から」と題した特集を組んだ。特に李禹煥周辺に形成された多摩美系作家の座談会は、後に〈もの派〉と呼ばれることになる運動が、その存在を高らかに宣言する機会となった。
それから42年後の2012年2月24日、「発言するもの派作家たち」というパネルディスカッションが開催された。南カリフォルニア大学日本宗教文化センターとポンジャ現懇(筆者主宰)の共同企画である。
ロサンゼルスのブラム&ポーで開催された美術館級〈もの派〉展(2012年2月25~4月14日)に触発されたもので、同展ゲストキュレーター吉竹美香、韓国現代美術研究者ジョーン・キー、ロサンゼルス郡美術館のホリス・グッダル、および筆者がモデレーターをつとめ、出品作家からは関根伸夫、小清水漸、李禹煥、菅木志雄、原口典之が参加した。
これほどに作家が勢揃いして話をする機会は日本でも珍しいだろう。微妙かつ明瞭に意見を違えながら、しかも和気藹々と本音を出しながら進行した討論を、会場の講義室をぎっしりと埋めた聴衆も通訳を通して大いに楽しんでくれたように思う。
討論に先立って私と吉竹はそれぞれ「もの派とは何か」を解説した。吉竹が同展企画の立場で堅実な内容で話してくれたので、私はちょっと冒険をして「もの派の矛盾」を考えることにした。
思えば〈もの派〉ほど説明しづらい事象もない。さまざまレベルで単純化と対象化を拒否するからだが、だからこそ、その根源にある矛盾を考えることで理解が深まるのではないだろうか。
管見では、もの派には少なくとも6つの矛盾がある。
1. もの派は具体やハイレッドセンターのような集団ではないが、多摩美系作家の連動は確かに集団性を有していた。
2. その集団性は、グループ展ではなく、作家自身の言説を軸にしていたが、それでいて作品自体には、厳として言葉を拒否する一面がある。
3. 李禹煥のもの派理論では、特に関根伸夫の〈仕草〉をハプナーとして捉えており、パフォーマンス性が仄見えるのだが、結果としての作品はあくまでモノが中心である。
4. もの派作品の根幹に物質性があることには異論がないだろうが、作品は一回性の設置として構想されることが多く、作品が残らない。つまり、作品というモノ性が往々にしてネグられている。
5. もの派は作家が仕草を媒介としてモノと協働し〈あるがままの世界〉を開示する。この理念的な世界との関わりに対して、もの派は一般に非政治的と批判されている。つまり、世界=社会への関与が希薄だというのである。
6. もの派は近代的表現概念を打破する企図だったが、その一方で『動向』展、東京ビエンナーレやベニビのような現代美術の〈制度〉の場に依存して登場してきた動向でもある。
以上は、美術史家としてのポレミークだが、もの派が広く世界美術史に確かな位置を持つためには確認しておかねばならない論点だろうと考える。
「新美術新聞」2012年4月1日号(第1276号)3面より