ケルトと日本を結ぶ「美の文明交流史」を語る
刺繍が凝らされた中央アジアの民族衣装に、中国少数民族のジュエリー。異国から訪れた旅人のごとき装いで講義・講演に立つ。4月から多摩美術大学、芸術人類学研究所の所長に就任した。
同研究所は2006年設立、人類の根源的な心の構造と芸術表現の関係を探ることを基軸に、学内外での多彩な活動と情報発信を行なっている。「人類が生きてきた長さが芸術の歴史、そこから掘り起こそう」と、ヒューマン(人間)スケールの百年やミレニアムの千年を凌ぐ、1万年単位のマンカインド(人類)スケールの壮大な幅で芸術を考察する。
自身の研究テーマは「ユーロ=アジアをつらぬく美の文明史」。装飾デザイン研究を礎とした美術文明史家で、ケルト芸術研究家、日本におけるケルトブームの火付け役である。アール・ヌーヴォーのデザインに魅せられシベリア鉄道でヨーロッパを訪れたのが19歳。「渦巻」や「曲線」のデザインを遡るとケルトの装飾写本文様に行き着いた。そこでアイルランドに留学、ミステリアスで魔術的なケルト文明に出合い、ヨーロッパ大陸の考古学の領域まで研究を深める。「西の極みのケルト」と「東の極みの日本」の双方から互いを眺めると、東西の様々な文明交流を見渡すことが出来た。
人類同様、自身も未だ旅の途中。ユーロ=アジアのフィールドワークは無限。現地の衣装や装飾を身に付け、良き語り部として東西を貫く美を読み解く。
「新美術新聞」2012年6月11日(第1282号)1面より