あはれとおかしが身を包み
シャネルの紋が白に映える、華美な甲冑に身を包む侍の像。どこか疲れた面持ちながら凄みの利いた鋭い眼差しは、まさに乱世を生き抜く強者のそれだ。キャプションによると「紗練家(しゃねるけ)というのは紗練常陸介隆昌(しゃねるひたちのすけたかまさ)を開祖とする一門で、戦での武功を認められ、紗練姓と紋の使用が認められた」という―。そう、これは全く架空の物。野口哲哉が作品から考えられる可能性の一つを文章化したセルフキャプションである。
「歴史少年がそのまま成長してしまった」と笑う野口は、合成樹脂や化学繊維、アクリルなどを素材に、現代カルチャーやSFを絶妙に織り交ぜた武人像や武者絵を制作する。「作品が過去や現在を行き来するのも、でっち上げや悪ふざけがしたいわけではなく、固定概念に囚われず、今も昔も変わらない人間の姿を追求したいから。冗談を交えても誠意を忘れなければ、きっと真面目な話は出来るはずです」。
「適応する時代は違えども同じ人間、戦で疲れた侍と仕事に疲れたサラリーマンの顔は、生物学上、それほど大きな違いはないのでは。そうした普遍的に変わらない人間の肉体や常識、社会の中で生きる哀しさや楽しさを、見る人と共有したいと考えています」。本物と見紛うかのような精妙な甲冑の内側、“生きる”悲哀を感じさせる侍たちの姿は、奇天烈で、愉快で、どうしようもなく身につまされる。」
写実絵画を学ぶ学生の時に、甲冑を纏った人物の制作を始めた。「周りからすれば変わり者。ある種の落ちこぼれだったのかもしれませんね」。学内では否定も議論もされない、孤独な制作を続けていたと当時を振り返る。転機となったのは2007年、東京・銀座のシャネル・ネクサス・ホールでのグループ展。出品した「シャネル侍」が、美術史家の山下裕二氏はじめ多くの注目を集め、世に出るきっかけとなった。
それから7年、練馬区立美術館での個展「野口哲哉の武者分類図鑑」の盛況ぶりは、野口の言う「共有」が多くの鑑賞者と成し遂げられた一つの結果だろう。心の底から楽しんで作った作品を、面白いと言ってくれる人がこんなにいる。「世の中捨てたものじゃないですね」。野口はそう笑った。
(取材:和田圭介)
野口哲哉(Tetsuya Noguchi)さんプロフィール:
1980年香川県高松市生まれ。1999年広島市立大学芸術学部油絵科に入学。在学中から樹脂粘土を用いた武人像の制作を始める。2005年広島市立大学大学院修了。2007年にシャネル・ネクサス・ホールで開催された「現代アーティストたちによる Le Monde de Coco -ココの世界」に出品した「シャネル侍2分の1縮尺座像」で注目を集める。以降、アートフェア東京はじめ各地で発表を重ね、2011年には芝浦工業大学のメインビジュアルも担当。「野口哲哉展-野口哲哉の武者分類図鑑」(練馬区立美術館:2月16日~4月6日)は、京都・アサヒビール大山崎山荘美術館に巡回予定(4月19日~7月27日)。
【関連リンク】 「野口哲哉展-野口哲哉の武者分類図鑑」アサヒビール大山崎山荘美術館
新美術新聞2014年4月1日号(第1340号)8面より