ベルリン国立アジア美術館「平松礼二展 睡蓮画・モネへのオマージュ」への思いを聞く
昨年、フランス・ジヴェルニー印象派美術館で開催された「平松礼二・睡蓮の庭 モネへのオマージュ」展が、会期中約7万4千人という同館始まって以来最高の入場者数を記録するなど大反響を巻き起こした日本画家・平松礼二。その巡回展にあたる展覧会がドイツのベルリン国立アジア美術館で開催されている。近年、文化面でも世界の注目を集めるこの都市で平松の日本画はどのような評価を得るのだろうか。フランスで経験したこと、ドイツにむけて思うこと―開幕前の5月の末、アトリエに作家を訪ねた。
―フランスでの展覧会はとても大きな反響を呼びました。
平松礼二(以下 平松) あの展覧会は「第2回ノルマンディー印象派フェスティバル」というイベントの特別展としてジヴェルニー印象派美術館が開催したもので、同館のD・カンディール館長のもと、オルセー美術館やロダン美術館を巻き込んでかなり大掛かりな広報活動をしてくれました。大きなポスターが地下鉄駅や市バスなどパリの街中に貼られ、記者会見にはフランスの国営テレビや周辺国からなど50以上のメディアが来てくれた。フェスティバルに参加する他の館(ルーアン美術館、カン美術館、アンドレ・マルロー美術館が参加した)に負けてなるものかという思いもあったのでしょう。おかげで入場者数だけでなく図録の販売記録も過去最高のものとなり、結果的に大変喜んでもらえました。
また、フランス発というのはやはり影響力があるようで、展覧会は周辺国でも話題を集めた。会期中の8月には、在ドイツ日本大使の中根猛さんとドイツ展の会場であるベルリン国立アジア美術館のクラース・ルイテンビーク館長がいらっしゃって「これは良い展覧会だからうちでもやりたい」と巡回展がその場で決まりました。僕としては、開催まで1年足らずとあまりにも急で感慨に浸っている暇もありませんでしたが。そもそも日本画というものが国外で広く紹介されるのは珍しいことですから、今回の反響の大きさには僕自身が一番驚いています。
―日本の画家が西欧で高く評価されたのは快挙と言えます。
平松 江戸の浮世絵に影響を受けた画家たちによってフランスでジャポニズムが花開いた。そして現代、彼らに影響を受けた僕がジャポニズムシリーズを制作している。この奇縁にカンディール館長が非常に興味を持ってくれて「うちでモネと一緒に展覧会を」と実現に至りました。
ただ、西欧で日本の画家と言えばいまだに北斎だとか広重だとか、江戸末期の絵師の名ばかりが出てくる。これほど頻繁に海外と往復できる時代なのに、なぜ今の日本人の生み出す芸術性、創造性が海外では知られていないのか。僕が今トライしているのは、あくまで日本を拠点にこの国固有の表現である日本画を制作し、それを国内や海外での評価に繋げていくこと。日本人の伝統を守り、日本人として声を挙げるということなんです。しかし、やはりなかなか難しい。世界の壁は高いなと思いました。
―日本画の海外マーケットへの流通もそう多くありませんよね。その点はどのようにお考えですか?
平松 そもそも日本画というものがほとんど知られていませんからね。フランスでも「アニメ」とか「マンガ」はあるのですが「ニホンガ」なんてものは無い。それを展覧会でどのように伝えよう、日本人が持っている固有のジャンルをどう知らせようかと。それが「画材」だったんです。
フランスではパリとジヴェルニーの2箇所で講演会をやりました。制作に使用した画材全てを持っていって、ワークショップのような形でそれぞれの画材や技法を解説した。結果とても好評で、多くの方がパリで日本画の美術学校をやってくれと。ただ、今は日本も日本画画材の質や量が乏しくなっていて、僕ですら自分の画材を手に入れるのに四苦八苦している状況ですから。そういう声に応えられないのは非常に残念なことですが、その場の熱狂的な空気がとても嬉しかった。
―初めてパリにいらしたのは50歳になってからとか。
平松 ちょうど50歳の時だったと思います。資生堂が支援してくれてパリで個展を開いたんです。そのオープニングパーティーの翌日、飲み過ぎたから美術館でも行こうかと。ホテル近くのオランジュリー美術館でモネの「睡蓮」の大連作を見てびっくりしたんです。まさに日本の絵巻物だった。なぜ日本に来たこともない、パリサロンのような厳格な画壇がある国の作家が、東洋の一島国の様式を大胆に取入れた作品を残したのか。もうガツンときてしまって、頭から離れなかった。それからその理由を求めて彼らの足跡を辿って様々なところを訪ね歩き、風景を見るだけじゃ解決しないので自分でも作品を制作して、20年が経ちました。
―なぜ、ジャポニズムは生まれたのか。その答えは出ましたか?
平松 それは多くの研究者や評論家の方が既に書いていることですから。ただ、同じ画家という生き物の目線から言うと、画家というのは欲望でもって描く。浮世絵に見出したエッセンスを「自分だけのものにしたい」という欲望があったのだろうと思います。常に新しい絵画を切り拓く、つまり自分たちの新しい歴史を作ろうという開拓者魂が画家にはありますのからね。
僕自身も常に変化をしながら新しい世界を切り拓きたいという思いがある。ただ、新しい表現とともに古い表現も大事に使っていかないと、日本人としての心が壊れてしまうのではないかとも思うのです。精密、精巧、精緻、意匠性。そういうものが割と現代の日本では希薄になっていますが、僕は作品に現代的な要素を込めつつも、江戸の琳派に連なる伝統的な様式美を求めて制作を続けています。「アーティスト」であると同時に「職人」でもあると。実際、日本画は粒上の荒い絵の具を何層にも重ねていき、その微妙な色彩変化を逆算しながら描く。フランスでそう説明すると言うわけです「よく分かった。しかしそれを辛抱強くやる根気強さは私たちには無い」とね。まさに日本人の職人性なんです。
―フランスでは様々な収穫があったようですね。さて、間もなくドイツ展が開幕しますが、こちらはどのような展覧会になるのでしょうか?
平松 ベルリンではジヴェルニーに収蔵された27点のうち、14点が展示されます。フランス展のメインだった屏風作品は、愛知の刈谷市立美術館から借りたもので返却しなければならなかった。だから追加で2点の屏風を制作しました。そのうち「モネの池 微風」は、ドイツ展が初めての発表の場となります。巡回展なのでイニチアチブは美術館にあって、基本的に僕はドイツ展には関与していない。どのような展覧会になるのか僕自身も楽しみにしています。ドイツはフランスのようにジャポニズムの歴史はありません。フランスとは地続きのお隣ですが、気質もがらりと変わる。フランスがコレクションした僕の作品がドイツではどのように評価されるのか。何が出てくるか分からない不安と楽しみがありますね。
―良いご報告を楽しみにお待ちしております。本日はお忙しいところ有難うございました。
(2014年5月30日、鎌倉のアトリエにて)
以下は、6月12日に開幕した「平松礼二展 睡蓮画・モネへのオマージュ」の作家による写真レポート。本展はドイツ・ベルリンのベルリン国立アジア美術館にて8月31日まで開催。
【関連リンク】 Museum für Asiatische Kunst , Staatliche Museen zu Berlin
「新美術新聞」2014年6月21日号1・2面より