ハノイにて
―青木保(国立新美術館館長)
※このコラムは新美術新聞(2014年11月21日号)に掲載されたものです。
8月の終わり(編集部注:2014年8月)にベトナムへ行った。ハノイはまったく久しぶりで、最後に訪れたのは2004年の秋であったかと思う。この10年はベトナムの発展の時期に当たり、さぞハノイの街も変わったかというと、確かに通りは賑わい洒落た店やレストランも増えた。ホテルやカフェも多い。
もともとハノイはフランスの影響もあって街じゅういたるところにカフェがあり、実にうれしい都市なのだが、この伝統は衰えていない。いろんなタイプのカフェが、街角のうすぼけたような数脚の椅子とテーブルが戸外に雑然と置かれているようなものから表参道にあってもおかしくないような洗練された外観のものまで、新旧さまざまで面白い。私はカフェのない街には行く気がしない。アジアの多くの街には気分の良くなるカフェがある。この多さはアジアどころかパリにも匹敵するかも。
ハノイには魅力的な博物館がある。中でも国立民族博物館はこの国にいる少数民族の文化を展示していて飽きさせない。ベトナムは多民族多言語国家であり社会である。特に山岳部に住む人たちはベトナム戦争の複雑に巻き込まれた。また国立歴史博物館はこの国の歴史を古代から近代まで多様な文化財で展示していて興味深い。英語による説明をしてくれた女性も実にしっかりして感じがよかった。特筆すべきはこの博物館付属のカフェの見事さで、数時間の見学の後、ゆっくりくつろいでベトナムの歴史について見たことを反芻することができた。まさに歴史の大波の中で生き抜いてきたベトナム。展示されている物の背後にそれが覗くのである。
国立美術館では館長をはじめ学芸員の方たちと話すことができた。今回のハノイ訪問は、来年(編集部注:2015年)国立新美術館で開催する展覧会の海外巡回展の可能性を探るためのものであり、展覧会会場の視察も含め関係者と会って提案をして反応を見ることが主たる目的でもあったことから、訪れるところで具体的な展覧会について話し合いをしたのだが、この国立美術館も含めてどこでも大変興味を示され、また歓迎するとのことであった。この美術館も堂々たる構えの立派な建物で、ベトナムの現代アートの展覧会を開催していた。
新美術館の海外巡回展の計画についてはいずれ稿を改めて記したいと思っているが、ミャンマーやタイ、香港、そしてベトナムでもぜひ開催したいという反応である。ハノイでは文化省の副大臣と会見することができたが、シャープな感じの女性で大いに協力すると関心を示された。名刺を見ると「Ph.D」とあった。いまアジアでは大学の研究者だけでなく、こういう政治家の方や文化官僚、そして博物館・美術館のキュレイターにも博士号を持つ人たちが増えてきている。アジアでもこうした面での国際水準が出来つつあるという感じが毎回強くなるのである。
ハノイではベトナムを代表する画家、ファム・ルック氏のアトリエを訪ねることができた。今回のベトナム訪問に同行して頂いた早稲田大学の坪井善明教授の紹介であるが、1943年生まれのベトナム戦争従軍画家で、その力強いタッチで描かれた作品には独特の魅力がある。ヨーロッパ諸国や日本でも展示会が開かれているとのことであるが、私には初めてのアーティストであり作品であった。気さくにたくさんの絵を見せてくださったが、中の一枚を無造作にそれこそお土産のようにくれた。いま館長室で眺めているが、何か訴えてくるものがある。
この画伯はスペインで「戦争と美術」の題のもと展覧会を開き、ゲルニカなどと同じく戦争の悲惨さを描くその絵は評判になった。従軍画家というと日本の戦争時のことが浮かぶが、どちらかというと批判的に受け取られている従軍画家だが、ベトナム戦争での従軍画家は戦争の性格からいってであろうが、大変肯定的で賛美される。何か深く考えさせられるハノイであった。