富井玲子 [現在通信 From NEW YORK] : 三人の河原温

2015年03月08日 10:00 カテゴリ:コラム

 

― 三人の河原温 ―

 

 

グッゲンハイム美術館で回顧展「河原温―沈黙」が始まった(5月3日まで)。

 

展示の難しいフランク・ロイド・ライトの螺旋の空間に、作家が「生きた時間」が見事に流れている。48年続いた代表作、通称《日付絵画》をはじめ、観光絵葉書の《I GOT UP》や電報の作品など、それぞれのシリーズが呼び起こすだろう観者の意識の運動を考えると「沈黙」をかかげた副題と裏腹に、昨年6月27日に29771日を生きて逝去した作家はきっと私たちの「ひそやかなおしゃべり」を期待したに違いない、と思えてくる。

 

それにしても河原温は〈日本〉問題を避けて通れない作家である。なぜなら、作家本人が日本とNYの接続を拒否し続けてきたからだ。本展も、1966年に始めた日付絵画以後を通観、64‐65年のドローイングや絵画をプレリュードとして紹介するが、それ以前は出品されていない。

 

おそらく河原温の芸術を回顧するには、三人の河原温を考える必要があるのだろう。

 

50年代・日本の河原温

 

60年代・国際の河原温

 

未来・世界の河原温

 

ここで「未来・世界」とは、作家の死後も作品が新しい命を持ちえるように構想した《百万年》の朗読、日付絵画を幼稚園に設置する《純粋意識》のプロジェクトで、すでに21世紀に入ってから世界各地で行われている。

 

本展では「50年代・日本の河原温」が不在なのだが、それでいて日本の存在が大きいことに気付かされる。《日付絵画》の発芽形態である65年の《タイトル》は東京国立近代美術館の「在外作家展」への出品作だし、通常よりもひときわ大きく展示効果を配慮した絵葉書の30点セットは69年毎日現代展への出品だ。さらに1970年の1月から3月にかけて「毎日の瞑想」として制作した日付絵画90余点は同年東京ビエンナーレへの出品作。

 

 

だから〈日本〉といっても、《浴室》シリーズで知られている河原温のイメージを一挙に概念芸術へと刷新したもの、つまり「50年代日本の河原温」を払拭する出品行為だった、と位置づけ得るかもしれない。

 

しかし、歴史に断絶はありえない。60年代国際のコンセプチュアリズムにつながっていく理論性は、すでに50年代後半の《印刷絵画》に見出せるし、65年在外展図録に掲載された《あるカタログのための意味の配列》は絵画による概念美術宣言とも理解しうる重要テキストだ。

 

今回展観の64年のドローイングは、不発弾に終わった数多くのアイディアを見せていて興味深いが、《日付絵画》からそれらに続く出口の見えない模索があったからこそ、65年の《タイトル》によって、絵画と言語の接続を宣言するだけの確信が生まれたのではないか。さもなくば《日付絵画》に、あれほどまでに徹底した定式化と持続性をはかることはできなかっただろう。

 

 

60年代国際を生きた作家にとって、岡田謙三的なユーゲニズムの〈日本〉が重荷だったことは想像に難くない。対等な語らいを求めるならば〈日本〉は余剰でしかなかった時代である。60年代のNYに活躍した日本人作家は、草間彌生にしろ、荒川修作にしろ〈日本〉という記号を越えたところで認められてきた。執拗なまでに〈日本〉を消去し〈国際〉の中で自らのアートを確立しようとした河原温の決断には心の底より敬意を表したい。

 

しかしながら、グローバルとローカルをつなげようと夢見る美術史家としては「未来の河原温」に十全な人間であってほしい。何よりも50年代日本で「コミュニケーション」を芸術の本質として抽出した作家である。それは日本という一地域の問題ではなく、未来につながる人類全体の課題であるはずだ。なればこそ、この稀有な作家にはコミュニケーション不全が原因の「歴史の欠損」を生きてほしくないと思う。

 

(富井玲子)

 

【関連ページ】追悼 河原 温:富井玲子「29771日生きた人」

 


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