久松知子:絵画に込めた「美術への愛憎」(2)

2015年03月31日 16:20 カテゴリ:その他ページ

 

■《レペゼン 日本の美術》

―岡本敏子賞を受賞した《レペゼン 日本の美術》は《日本の美術を埋葬する》と《日本画家のアトリエ》の2つによって構成されています。ひょっとするとこの2つは同時進行で制作されていたのでしょうか?

 

久松:いえ、それは違います。《日本画家のアトリエ》は《日本の美術を埋葬する》の後に描きました。

 

《レペゼン 日本の美術》

《レペゼン 日本の美術》

 

―ではもともと2点組の《レペゼン 日本の美術》にしようと思って《日本の美術を埋葬する》を描いたわけではないんですね。そうすると《日本画家のアトリエ》を加えた理由は何でしょうか?

 

久松:《日本の美術を埋葬する》の構想まで遡ると、2年がかりで《レペゼン 日本の美術》にたどり着きました。2点組に至った構想については、クールベの《画家のアトリエ》と《オルナンの埋葬》が確かオルセー美術館で2枚並べて飾られているはずなんです。 《日本の美術を埋葬する》で浅田彰さんを描いて、その時に「次は《画家のアトリエ》でしょうか?」っていうお返事をいただいて。それが構想のきっかけだったんです。その後、浅田さんがREAL KYOTOで「LITTLE AKIHABARA MARKET」の批評を書かれて、「『埋葬』というテーマにこだわりたいのはわかるが、「有名人」群像としては本当は《画家のアトリエ》が問題になるはず。これは久松知子への問いです。」というような言葉をいただきました。この《日本画家のアトリエ》ではその批評への私なりの応答をしようと思いました。

 

クールベの2つの作品は美術史上のエポックメイキングとして、また制作当時とオルセー美術館が開館した時のフランスの社会の反映として、どちらにとっても重要な作品となっていることを知りました。クールベへの尊敬を持って、その革命的な美術史の追体験を求めてみたいと思い、2作品を並べる構成も引用しました。クールベ作品のようなモダニズム史観は日本の美術史観に代入不可能であるということは《日本の美術を埋葬する》で証明されたので、新作の《日本画家のアトリエ》はもう一度クールベを使って西洋美術史観とは引き離された、日本独自の美術史観を視覚化できないか、という試みなんです。そこで新作では、現在の私の専攻である「日本画」に的を絞ってモチーフとしました。大学院に入学したことで、自分の足元にある「日本画」を私なりに見ることにしました。明治以降の近代化の中で生まれた美術の制度を絵のモチーフとして追体験するために描きました。

 

《日本画家のアトリエ》

 

クールベと私の作品の違いは、クールベの《画家のアトリエ》は外向き(社会を広く見渡している)のに対して、私の作品は「日本画」内の批評の無さを現代美術の批評を使って描こうとしているところもあって、美術に対して内向きな作品となっていることだと思います。これは大学院という場で、日本画について考えてみようと思った結果で、描いてみてからレスポンス(批評)を頂いてようやく自分で自分が作ったモノを咀嚼しはじめているところです。

 

 

―今回《レペゼン 日本の美術》を発表し、2つの賞を受賞されました。ご自身の中で一区切りできたようなお気持ちはありますか?また浮き彫りになってきた課題などあればお聞かせ下さい。

 

久松:そうですね。考えるべきことはまだまだありますが、現時点では一区切りできたと思います。今回の作品は、美術についての美術作品を作ることが出来ましたが、内向きな作品であることが難点にもなっているのではないかと思っています。2つの作品を描いて、私なりに日本近代美術史を探検しましたが、そこで学んだことは、美術の歴史は、いつの時代も社会の反映が美術にあることと、美術に限らず「近代」という歴史区分をもっとしっかり見ていった方がいいということでした。もっともっと視野を広げて、色々なものを見て、体験を増して作品を作っていきたいのですが、また長い時間がかかるかなあと思います。

 

もう1つ、「アーティストの役割」に興味を持つようになりました。こちらは社会の中での芸術家、美術史の中での美術家や画家ってどういう存在なのだろうか、という興味です。歴史上の画家たちは社会の要請や自分の欲望の中で、「美術家」という役割を果たしてきたと思うんですね。彼らが人生を賭けて務めた「役割」ってなんだったのか。掘り下げて考えたいと思いました。特に岡本敏子賞と絹谷幸二賞を受賞してから強く意識するようになりました。今後それらを作品につなげていければなと。

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ひさまつ・ともこ

1991年三重県生まれ、山形県在住。東北芸術工科大学大学院修士課程芸術文化専攻日本画領域在籍。2014年に第18回岡本太郎現代芸術賞で岡本敏子賞を受賞。15年には第7回絹谷幸二賞奨励賞を受賞した。主なグループ展に「LITTLE AKIHABARA MARKET ―― 日本的イコノロジーの復興」(A/D GALLERY、2014年)、「何も考えないまま10年経ってた・・・」 展(新宿眼科画廊、2014年)など。2011年より東北芸術工科大学チュートリアル活動「東北画は可能か?」に参加。2013年より福島県喜多方市での滞在制作を断続的に行っている。今後5月29日(金)から6月14日(日)まで六本木ヒルズ内にあるA/D GALLERYで個展を開催予定。

 

 

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