特別対談:絹谷幸二×武藤敏郎「レガシーとして未来に何を残すか」(2)

2015年04月10日 13:03 カテゴリ:その他ページ

 

 

■パラリンピックに焦点合わせることも重要

絹谷:オリンピック・パラリンピックと続きますけれども、パラリンピックに焦点を合わせるということ自体も、レガシーが積み重なってきた結果だと思うのです。

 

武藤:1964年東京オリンピックが、パラリンピックの第1回です。障がい者スポーツは前から行われていましたが、パラリンピックとはパラレル・オリンピックという意味でオリンピックと並行して行われるという意味です。その言葉を使ったのは東京オリンピックが初めてなのです。同じ都市で2度パラリンピックが行われるのは、世界初です。それを強く出して、パラリンピックの重要性を訴えていく。パラリンピックは残念ながら一般市民の関心はそんなに高くないと思いますが、私は20年にパラリンピック会場のチケットが完売になることを望んでいます。それにはどうしたらいいか。これはパラリンピックのスポーツが、それは健常者と記録を競ったら負けるに決まっていますが、一生懸命身体が不自由な人が走ることで皆感動を得るわけです。記録を更新することも感動の一つですが、もう一つ、スポーツには一生懸命やることが人々に感動を与えます。

 

絹谷:これはスポーツだけではなくて、私は今《子ども 夢・アート・アカデミー》で文化庁と日本藝術院主催の事業なのですけれども、藝術院の画家たちが地方に出前で絵を教えに行く事業に参加して、1年で25校ぐらい全国を回っています。それは小中高、それから養護学校や筋ジストロフィーの子供たちの学校にも教えに行くわけです。そうしますと彼らのエネルギーとは、最初は筆をもって描いていますけどそのうち身体中で絵を描くというか、いま武藤さんが言われたように、もう全身の力を込めて絵を描く。そのうちには身体ごと絵の上に寝っころがって描く、もうとにかく感動するのです。教えに行っている自分が感動する。そういうことが絵の世界にもある。いわゆる立派な絵描きさんを連れてきて、国際ビエンナーレみたいなものをするのも一つ。つまりオリンピック同様に世界の絵画芸術・音楽・演劇のオリンピック、それから県展レベル、あるいは日本の国のレベルの展覧会や、我が国独自の国民的絵画展である公募展のエネルギーを集約した塊そしてその他に、絵画パラリンピックというふうなもの―スポーツのパラリンピックと芸術のパラリンピックを共催する。そういう双眼の構えもあるのではと思います。そしてこれらをオリンピックのマークに掲げ、地方分散型にすればと思います。

 

クーベルタン男爵は多分、芸術とスポーツの祭典と謳ったと思うのですが、芸術の部分はいわゆるイメージの大会といいますか、イメージの翼の広がりといいますか、そうしたイメージと実際のエネルギー、あるいは空想するエネルギー、その2つのエネルギーのぶつかり合い方をすれば、2020東京は新たに花が咲くのではないかと思います。

 

《春風ボッチチェリ・ヴィーナス誕生へのオマージュ》 130.3×193.9㎝

 

武藤:今のお話は大変すばらしい話だと思います。われわれはまだそこまで具体的なものになっていないのですけども、芸術とか教育活動とかそういう文化的な活動を、どうやってオリンピックと結びつけていくか。オリンピックに向けて人々の機運を盛り上げるためのアイディアは、どんなものがあるのかということを常々考えていまして、これを担当する部局もこの組織の中にあります。われわれはそれをエンゲージメントと言っているのだけど、エンゲージメントをどうやっていくかということがありますので、今のようなことが実現すれば、これは組織委員会も応援できる話ですね。それからこのアイディアは、絵の話もそうですし、その他音楽だとか芸術全体に広がっていくようなことだと思いますね。

 

 

―絹谷先生は、今回の展覧会も一つのレガシーを描いて、それもテーマとされているということですが。

 

絹谷:人間の創造とはやはりレガシーの積み重ね、その中に花が咲くわけです。この美しい花の意味は、人に見せるために美しいわけではなくて、命をつないでいきたい、レガシーを残していきたいという強いエネルギーが、美しい花を作っている。そして蜂や蝶々に飛んできてもらって、自分は枯れてしまうけれどその色彩も形も引き継がれていく。過去から未来への長い道程でつないでいく、リスクを排除し美しいものを残していく。そういう心が形になった。今の日本の心とはどんなものか、何でも開発して地球は汚れてもいいのだとする考え方ではない。やはり自然を大切にすること、ただ自然を大切にするのではない、自然を大切にしないと人間が美しくならないのです。たとえば私は富士山を描いていますけど、赤富士というものは山の体内にある砂鉄が太陽に輝いて赤い富士となる訳ですが、この砂鉄が野山に流れてフルボサン鉄を合体して海に流れてプランクトンが食べエビがそれを食し、食物連鎖が起こって私たちに血となって環ってくる。そしてまた石灰岩の岩山が溶けて海に流れ出て、プランクトンが食べてエビが食べて、私たちの体に環って骨となる。全部環ってくるわけです。ですから自然が美しくなきゃいけないというのではなくて、私たちが美しくあるためには、自然はどうしても美しくあってもらわなきゃいけない。そういう相関関係を我が国は古代より大切にして今日に至っている訳です。

 

宗教もそれを教えていますが、我が国民はそれぞれにこの事の大切さをはだ身をもって知っています。このことを世界に伝えるオリンピックであれば必ず他の国とは異なる成功を収めるでしょう。美しい身体、精神、自然は未来に残す最大のレガシーといえるでしょう。このように我が国は近代社会として発展しても美しい自然と精神が日本にはまだいっぱい残っている。そういう新しい世紀への提案といいますか、そういうものもオリンピックに加えていく。ああ、さすが日本だなと、違うなと、ただむやみに経済的に発展するだけではない新しい哲学だなというふうなものが生まれて、際立ったオリンピックになるのではないか。

 

 

■絹谷絵画のカラーは複雑にして豊かな赤

―武藤先生は絹谷先生とは長年のお知り合いですが、絹谷絵画の魅力について一言二言で表すと。

 

武藤:一言二言では言い切れませんが、絹谷さんとは40年近いお付き合いがありまして、必ずしも絵だけの話ではなくて若き時代の幅広い交際での談論風発の仲なのです。長年その作品を拝見していますが、絹谷絵画の基本も少しずつ変化はしていると思うのです。変化はしていますが、基本はアフレスコというきわめて伝統的なものにある。アフレスコを完全にマスターされた絵描きさんとして、こうした絵画にまで発展させてきた恐らく日本で唯一の人でしょう。これは一種のイノベーションをされているのです。アフレスコそのものは壁に描いてあって、これを剥がせといったら大変なことだけど、キャンパスに同じようなイメージを定着させるには独特な技術開発をやっておられる。それを土台に、基本は絹谷さんの中の脳細胞にあるイメージ、これが非常に先へ進んだ、誰も持っていない独特のものなのです。

 

表現の問題もあるけど、そうでないイメージ、まったく他に追随をゆるさないようなイメージがあって、当初はヴェネチアで修行されたのでイタリア的なものが色濃くあったけれども、その後日本的な仏教とか仏像だとかそういうものも取り入れて、富士山なども典型ですが、変わってきている。そういうコンセプトというかイメージというものを徹底的に追求して、それを画面に定着させる。その技術がまたすばらしい。こういう一体のものが独特な絹谷芸術を生んでいると思うのです。

 

 

―絹谷先生によれば、色というのは時代が暗いときは沈んだ暗い色になるし、元気なときは色彩豊かになると、ちょっと前までは日本は縮み上がっていたのですが。

 

武藤:絹谷さんの色も、絹谷カラーは赤ですね。ただ赤といっても、実は私は絹谷画伯の愛弟子でありますが、絵の色の出し方のコツがあり、この赤はそのままチューブから出した赤ではなくて、複雑な赤です。その赤は絹谷画伯の独特な配合によって出てきた色でなかなか真似できないような色なのです。

 

絹谷:そのままの赤ですといわゆる血の赤になる。そうすると文化が発展した所の人たちは恐れるのです。真っ赤というのは。ですから日本の日の丸をパリの町にポンと出すと、彼らは引くところがある。なぜかというと、たとえば美味しいおぜんざいを作るときは、砂糖の他に塩が入っている。それから辛いカレーを作るときには、カレーの中にハチミツが入っている。そのようにこの赤の中には赤の反対色が入っている、つまり緑。赤と緑は別々のものだと考えないわけです。そこが難しいところです。反対色や反対する人たちを色分けするのではなく、全体の部分だと捉えること。相反する概念はそれぞれ別々ではなく部分であり全体の一部分だとする見方です。これを生かせば社会も料理の味も色彩も美しくなります。

 

《祝・飛龍不二法門》 193.9×259.1㎝

 

―今世の中はテロが多かったり、オリンピックの歴史にもテロがあったりしましたけど、2020オリンピックはそういう意味で前途多難な中でのオリンピックとなるわけですけれども、安全についてどうお考えですか。

 

武藤:セキュリティ(警備)というのはきわめて大事なことで、最近は国際的なイベントがテロの対象になりやすい。ですから東京が世界一安全だということで安心しているととんでもないことになる可能性がある。したがってわれわれはそういうテロ対策にも万全を期さなければいけない。万が一にもそういう被害が現実になると、オリンピックが成功したとは言えない状態になりかねない。防衛省から、警察はもちろん、それから民間の警備会社も含めて大変なマンパワーとコストもかけて、万全を期したいと思います。

 

 

―絹谷先生は今度の個展、また2020東京に向け、今後の制作の大きなレガシーとして、どんな形で後世に残していくというお気持ちですか。

 

絹谷:時間的にも、私の人生の持ち時間が残り少なくなってきていますから、百年二百年三百年と残るような仕事をこれから集中的にしていかなければならない年齢に差しかかってきていると思います。ですから意に染まない事はしない、失礼を続けさせて頂きます。自分の作品に打ち込んでいきたいということが一つ。

 

それからこの日本列島は海に囲まれたとても明るい国なのです。イタリアもそうですが。日本全土が世界遺産になってもいいと思うほど世界的に見て学術・芸術・音楽あるいは地質―あらゆる意味で、非常に希少な所です。こういうところを僕の制作のイメージの拠点として描いていき、私の絵と共に共感してくれる人たちが、またそういうことを広げていってくれる。これは教育の面になりますけれども、それぞれの芸術作品を掲げて、日本全体が芸術とスポーツの花園―そういうふうになっていけばいいなと思っているのです。

 

それはなぜかと言うと、芸術作品があるところには原爆が落ちないという信念があります。たとえば私の生まれ故郷は奈良でした。京都も金沢も無傷のまま残りました。そしてフランスのパリもベトナムのホーチミン市も同様です。これはやはりそこに芸術文化がすごくしっかり根を張っていた。芸術という花を咲かせて。目には見えませんけど、大砲ではありませんけれども、国を守る一つのパワーだと思いますね。これを完成していきたい。

 

(左)《金剛夜叉明王》 22.0×27.3㎝
(右)《黄金背景赤陶薔薇》 22.7×15.8㎝

 

―ベルリンオリンピックのときに、古代と現代を結ぶということで聖火リレーができ、長野のときには一校一国運動があって、それがレガシーとして残っています。私たちは、アートリレー=アートによる世界のリレーができないかと。つまり、世界中からいろんな作品を例えば一国・百点集め、それを展示する。それで世界が一体になるのではないか。健常者もハンディキャップのある人も、と思いますけれども、いかがでしょうか。

 

絹谷:今、アートは映像化もしていますしパフォーマンス化もしていますから、いろんな見せ方があります。一枚の絵ではものを言いません。絵に携わる人たちは、全世界ではまだまだ人数的には少ないのです。たとえばこの間、私が受けたNHK放送文化賞も、66回あった中で、美術活動でいただいたのは棟方志功さん、平山郁夫さん、澄川喜一先生、私と4人しか出ていない。映像メディアは1回放送すると何十万人も見る。それに比べて美術の出る頻度は、ごく限られた人たちだけの非常に内輪な世界になっている。これを何とかオリンピックを機会に、今おっしゃられたように世界中の絵を描いている人たち、あるいはそれに携わっている人たち、そして絵画的パフォーマンスをしている人たちの一つの塊。ただそれだけでなく、たとえば大道芸人の人とか、もっと上等な歌舞伎のような、あるいはギリシャ悲劇のような、そういう人たちのひと塊。ジャーナリスムとかの大きい塊の中に入りきれない人たちにもスポットライトをあてていく。その一つが絵やお能の世界です。公の補助も大事だと思います。そしてもう一つ。あまりにも日本的なものを出しすぎると、世界的に孤立することも頭の隅に置いておく必要があるでしょう。我々とは異なる野蛮な国という風にとられることもありますので注意が必要でしょう。世界的な普遍性も必要だからです。

 

武藤:どうしたらオリンピックに貢献できるかという問題意識を持っておられる芸術家はたくさんいます。絵描きさんばかりではなく、音楽家とか書道家なども、何か貢献したいと。ただしどうやったらいいかというのは、そう簡単ではない。人を集め、場所を用意して…ということになるので費用もかかる。そこはアイディアをどうやって出すかでしょうね。われわれは大いに期待しているところなのです。

きぬたに・こうじ

文化功労者・日本藝術院会員。東京藝術大学名誉教授・大阪芸術大学教授。1943年奈良県に生まれる。66年東京藝術大学絵画科油画卒業(卒業制作:大橋賞受賞)。68年同大学院修了。74年第17回安井賞受賞。89年第30回毎日芸術賞受賞。97年長野冬季五輪公式ポスター原画制作。01年第57回日本藝術院賞受賞、日本藝術院会員に任命。10年東京藝術大学名誉教授、大阪芸術大学教授に就任。14年文化功労者に顕彰される。15年第66回日本放送協会 放送文化賞受賞。

 

■~文化功労者顕彰記念~絹谷幸二展

【会期】2015年4月8日(水)~14日(火)

【会場】日本橋三越本店6階美術特選画廊(東京都中央区日本橋室町2-4-1) 

【休廊】無休

【料金】無料

【巡回】5月19日(火)~25日(月)福岡三越/8月26日(水)~9月1日(火)名古屋栄三越

 

■開館40周年記念 絹谷幸二展

【会期】2015年10月1日(木)~2016年1月12日(火)

【会場】池田20世紀美術館(静岡県伊東市十足614)

 

 

むとう・としろう

公益財団法人2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長。1943年埼玉県に生まれる。66年東京大学法学部卒業。同大蔵省入省。99年主計局長。00年大蔵事務次官。01年財務事務次官。03年財務省顧問。03年日本銀行副総裁(08年退任)。08年東京大学先端科学技術研究センター客員教授(11年退任)。株式会社大和総研理事長。09年私立開成学園理事長・学園長。14年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長。

 

 

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絹谷幸二展〈インタビュー前編〉

絹谷幸二展〈インタビュー後編〉

 


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