アメリカの1960年代美術を代表するポップ・アートの旗手、アンディ・ウォーホルは87年に逝去しているが、89年にMoMAで大回顧展が開催されてから、ちょうど30年。その間に、クィア理論やメディア論など美術史の研究領域が拡張されるに伴い、ウォーホル研究も格段に進んだ。さらに、ウォーホル財団から各地の美術館に寄贈された作品は、調査研究の結果を発表する期限がせまっているので、しばらくは展覧会や出版でウォーホルの満開状況が続くと思われる。
その中で昨年の11月に始まったホイットニー美術館のアンディ・ウォーホル回顧展は、「AからBへ、そして逆戻り」を副題に掲げ、絵画のみならず、映画やデザイン、テレビ番組やパフォーマンスまで350点をこえる作品を見せる包括的な展観だ(~3月31日)。
ただし、この30年、展覧会やオークションを通じて、それまで埋もれていたウォーホル作品を見る機会は多々あったので、新機軸を打ち出していかないと既視感が先行しかねない。ウォーホルが戦後美術の重要作家であるだけに、展観をする美術館にとっては大きなチャレンジとなる。
本展の場合、ピッツバーグ出身のウォーホルが地元の美術学校を出た後、ニューヨークでイラストレーターとして活躍した50年代を技法や文脈の点から見直し、さらに停滞期とされる80年代以降を、バスキアやキース・へリング、クレメンテなど若手作家との協働、新たなテーマの導入による絵画への回帰などから、再評価する視点が掲げられている。
これはこれで正統なのだが、以前に見たウォーホル展と決定的に違うのは、ホイットニーの展示が「大きく見せる」主義を標榜している点ではないだろうか。
たとえば50年代のコラージュのシリーズ《クリスティン・ジョーゲンソン》は、作家の繊細で装飾的な感性が突出して秀逸な作品だ。さらに『ライフ』などのグラフ雑誌におけるキャンペーンが広告産業の花形であった時代を背景に、同シリーズがブランディングのツールとして大成功したことを紹介している点も評価したい。そして、くだんの雑誌頁を壁紙のように貼りつめた上に同シリーズをサロン風に段掛けにしている。小品を大きく見せる面白い工夫だ。
ところが、同工異曲の展示が頻用されている。ウォーホルでは壁紙作品として知られる《牛》をギッシリと貼りつめた上に、《花》のシリーズを大小とりまぜて展示した部屋。《毛沢東》を壁紙風に貼りつめた前に資料展示のケースやパフォーマンス映像のモニターを置いた展示。天井高のある空間に負けない展示をするための工夫ではあるものの、これでは《牛》も《毛沢東》も壁紙でしかない。
ウォーホルの定番である肖像画を年代順にみせたり、同一テーマで大小各種作られた60年代の交通事故や電気椅子など《アメリカの死》のシリーズから大作を紹介するなど、「大きく見せる」ことに意味のある展示もあるだけに、無意味な壁紙には辟易とした。
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