クイーンズ美術館で開催された「グローバル・コンセプチュアリズム」展で、私が企画に関わったのが1999年。20年前のことになる。今でも克明に覚えているのは、同館館長が「グローバル」の一語を展覧会タイトルに入れることに強硬に反対したことだ。理由は「グローバル」は経済・社会に関するニュース用語で流行語であり、歴史に残るかどうか分からない、というものだった。
これに対して企画チームは、戦後美術におけるコンセプチュアリズムの同時多発性を踏まえていたから、大きな枠組を表現する言葉として「グローバル」を考えていた。
今で言えば「複数のモダニズム」ならぬ、「複数のコンセプチュアリズム」を視野におさめた壮大な構想だった。おそらく早すぎたのだろう、当時の反応はそこそこだったが、近年その先駆性は高く評価されている。
私自身は、同展をきっかけに「グローバル」に専念した。といっても、グローバル自体を考えるのではなく、その中に日本の「ローカル」をいかに位置付けるか。つまりグローバルを睨みながらローカルを位置付ける――これが大きな問題意識となった。
それから20年、はからずも節目の年にジャパン・ソサエティ・ギャラリーで「荒野のラジカリズム―グローバル1960年代の日本の現代美術作家たち」展を企画開催することとなった(会期~2019/6/9)。副題に冠された「グローバル」は、現在では「コンテンポラリー・アート」と並んで、世界の共通認識となるに到った。
時代の変化に参加した、という感慨はあるものの、まだまだ手綱を緩めるわけにはいかない、という念も強い。
JS展は、2016年に出版した拙著『荒野のラジカリズム―国際的同時性と日本の1960年代美術』をベースにして、松澤宥、GUN、ザ・プレイの三作家を中心にした紹介。同著で論じた「繋がり」や「響きあい」の事例として、イブ・クラインやスタンレー・ブラウン、オノ・ヨーコなどの参考作品も展示した総数280余点の展観となる。
グローバルを睨みながらローカルを位置付ける、というのは上から目線でグローバルという既成の枠組にローカルを嵌めこむのではない。むしろその地域(ローカル)の作品や作家、また土地固有の論理を同じ地平で見据え、いわば下から目線でグローバルに積み上げていくのが私の方法論だ。(次回に続く)
――と、ここまで書いて、訃報が入ってきた。
オクウィ・エンヴェゾーが享年55歳で逝去。ベニス・ビエンナーレやドクメンタの企画を通して、またミュンヘンのハウス・デア・クンストの館長として、非西洋の現代美術を主流言説に組み込む仕事に重要な成果をあげた。アフリカ現代美術の雑誌『NKA』を創刊し、97年のヨハネスブルグ・ビエンナーレのキュレーターをした後に「グローバル・コンセプチュアリズム」のアフリカ部門を担当した。グローバルとコンテンポラリー・アートのトップランナーだったが、私にはちょっとまぶしい盟友でもあった。心より冥福を祈ります。
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