アートは社会との関係の中にある。作家が作品を作り、社会の中でその価値が認識され増大していく。両者を繋ぐのは画廊の役目だ。
アメリカではペギー・グッゲンハイムやベティ・パーソンズなど、何人もの女性がその役割を担ってきたが、これまであまり知られてこなかったのが、現在ジューイッシュ・ミュージアムで展観されている「イーデス・ハルパートとアメリカ美術の台頭」展の主人公、ハルパートである(2/9まで)。
1926年に26歳でマンハッタンの13丁目にダウンタウン画廊を開設。70年に他界するまで精力的にアメリカ美術とは何か、を美術界、そして広く大衆にも問いかけた。
何よりもハルパートの審美眼が素晴らしい。戦前モダニズムの重要作家を早い時期から押し出した。アメリカ的キュビスムからポップ的な完成を抽出したスチュワート・デービス、クエーカー家具や産業社会の「精密」を愛したプレシジョニズムのチャールズ・シーラー、冤罪で死刑となった移民の急進主義者サッコ&ヴァンゼッティに共感したベン・シャーンなど教科書的存在の作家たちである。
また、自らが移民、女性、ユダヤ人、という三重のハンディを持つことから、アメリカ社会で抑圧されている層への支援も熱く、アフリカン・アメリカンのジェーコブ・ローレンスやホレス・ピピン、移民の国吉康雄を早くから紹介。国吉が真珠湾攻撃の後に敵性外国人と見なされたときにも、即座に回顧展を企画し、作家の成功を「民主主義のアメリカン・ストーリー」として称揚、支援した。
アメリカという国の多様性を重視したハルパートは、様々なフォーク・アートを「芸術」の文脈に持ち込む一方で、当時は忘れられていた19世紀のトロンプルイユ的スーパーリアリズムの作家たち(ウィリアム・マイケル・ハーネットやラファエル・ピール)を発掘した。
こうした作家たちを積極的に美術館やコレクターに売り込む能力にも長けていた。MoMA創設者の一人、アビー・オルドリッチ・ロックフェラーなどを通じて、ハルパートの作家たちは「美術館による収蔵」という装置にも組み込まれていくことになる。
商才のすごさは、旺盛な組織力で倍化される。34年にはNY市長やロックフェラー家の助成をうけてロックフェラー・センターで「第一回市展」を開催、五百人余のアメリカの作家から千点を越える作品を集め、開幕前に一万ドルの売上を達成したという。
ここにマーケティングの才が加わる。たとえば、戦前から大胆にデフォルメした花の絵画で知られていたジョージア・オキーフだが、ハルパートは戦後の抽象表現主義の台頭を意識して、より抽象的な風景画を紹介し、新たなコレクター層を開拓すると同時に作家の晩年の展開を後押しした。
また幅広くモダン・アートの購買層を開拓する功績も大きく、52年にはミドルクラスの夫婦をターゲットにした「67%のためのアート」を企画する視野の広さを持っていた。
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