骨董入門または脱線 = 光田ゆり [新美術時評]

2012年09月28日 19:00 カテゴリ:エッセイ

 

 

骨董入門または脱線  「古道具、その行き先展」を前にして

 

光田ゆり(美術評論)

 

 

「写真の芸術をめざしたいのですが、どんな写真が芸術ですか?」とあるシンポジウムで質問されたことがある。剛速球には空振りするしかない。「何が芸術かという問いかけがまず必要なのではないでしょうか。」などと苦し紛れに返答してしまった。

 

「芸術とは何かという問い」の転倒にこそ気をつけたい、と日頃考えているのに、ついこうしたことを言ってしまう。「芸術」のような概念は存在物の名前とはちがい、意味内容を変えながら時から時へと展開する。変わることを前提にしてこうした言葉を使う必要があるのは、前衛芸術の新しい試みが、反復や伝承を経ると形骸化するのと通じる点がありそうだ。「とは何か」と問えるような実体があるという幻想こそ問題にしなくては…などと反省した。

 

同様のことを最近、自分が「骨董」に入門して ―まだ入門以前の門外というほうが正確― 実感している。「骨董」はなんとなく「現代美術」の対極とみえていたが、決して固定化した価値構造ではないらしい。まず「名物」を頂点とする茶道具が対象だったのが、鑑賞陶器や仏教美術が領域に加わり「骨董」の柱となる。朝鮮、中国での発掘が進むと出土品にも目が注がれる。伊万里ブームなどは「骨董」が大衆化する近年の現象で、「骨董」の領地は常に拡大し続けているようなのだ。名物を愛する一方で今焼きにも関わった利休は、やはり「骨董」的価値の源泉なのかもしれない。

 

対象を固定してしまうと市場も閉じて発展しない。骨董商たちは名品の真贋にこだわりながらも、コレクターたちとともに新しい領域を開拓していかなければ市場が維持できない。骨董は実は古くなく、前線で変わり続けていることを、私が知らなかっただけである。

 

もちろん全体としては確立された価値を守る保守の世界でなければまた、「骨董」ではいられない。領域拡大の仕事はその前線に限られ、それもまずは個人に帰するもののようである。

 

骨董と民藝の関係は深くて複雑微妙だが、門外者が乱暴に言ってしまえば、民藝は柳宗悦個人を体系とする独自の骨董としての面をもっていそうだ。民藝を骨董から分けるのは、浜田庄司、河井寛次郎、芹沢銈介らのすぐれた「今焼き」アーティストたちが柳の美学の柱となったところではないだろうか。

 

領域拡大という個人の仕事には魅力がある。秋に私が担当するのは、古道具店を主宰する坂田和實の個展になる。「骨董」領域の外側に目を向け、雑巾やコーヒーフィルターのような「ゴミ」とさえ呼ばれる日用のはかないモノと、稀少な珍品を同列に扱う彼の新領域は、坂田自身の「美しい」という判断が支える、個人体系のようである。『芸術新潮』誌などでよく知られるように、多くのファンをもつ坂田美学は、飄々たる、やつした味わいの軽妙な言葉で語られる。柳のような理論化や体系化を避けるのだがしかし、それは反骨孤高の強靭な主張なのである。

 

そこへの私の入門もまだ道は遠い。先の質問の答えの続きに自分が「今までの歴史は、すでにある芸術の内部ではなく、これまで非芸術だった領域が重要になるのが常だった。」と続けた点だけは、少しは良心的だったかもしれない。

 

「新美術新聞」2012年9月1日号(第1289号)2面より

 

 

「古道具、その行き先 -坂田和實の40年」展

【会期】 2012年10月3日(水)~11月25日(日)

【会場】 渋谷区立松濤美術館(東京都渋谷区松濤2-14-14)

☎03-3465-9421

【休館】 月曜、祝日のとき翌日

【開館時間】 10:00~18:00(金曜のみ19:00まで、入館は閉館30分前まで)

【料金】 一般300円 小中学生100円

【関連リンク】 渋谷区立松濤美術館公式ホームページ

 

 

記念講演会「古道具その行き先」

10月21日(日)14:00~

【講師】 坂田和實氏(古道具 坂田 店主)

※ 事前申込制 (定員 90名)

往復ハガキ1通につき1名の申込(応募多数の際は抽選)。

氏名、住所、電話番号を明記して以下へ送付。

渋谷区立松濤美術館「坂田和實講演会」係宛  10月5日消印有効

 

 

 


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