何十年か前になると思うが、恩師より「画嚢を肥やす」という言葉をお聞きした。
描くもとになる題材を豊かにするという意味に捉え、心に留めている。
題材には、視覚で捉える実在のものと、思想や感情といった精神的なものとがある。「万巻の書を読み万里の道を行く」という中国、明代の文人画家董其昌の言葉があるように、読書と旅は創作者にとって王道であろう。
私が院展に出品してきた作品は、海外取材を基にしたものが多い。
学生時代には海外の知識が乏しいことから興味もなかったが、きっかけとなったのは、大学院生の時に平山郁夫先生の引率で、中国スケッチ旅行をした経験から、初めて触れる異文化に驚いたことだと思う。以来、幾度となく海外取材に出向いた。
インドやネパールでは宗教と密接に暮らす人々を知る。2ヶ月間滞在したスコットランドや、その後訪れたアイルランドでは、厳しい風景に感動し、勇敢なケルト民族に想いを馳せた。近年3度の南欧旅行は、光と影とロマネスク建築の魅力が深く思い出に残る。
初めての場所を訪れる旅では心の純度が高まり、見るもの全てが新鮮に映る。ただ見ている時よりも、画用紙を広げ、鉛筆を手に動かすと、対象を通して世界と時間が見えてくる。
その行為は詩的な創造力につながる。
旅は人生に例えられ、絵は人生の暗喩となる。
藁谷 実(わらや・みのる)
1956年東京都生まれ。現在、日本美術院同人。81年東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業、83年東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。2011年再興第96回院展日本美術院賞・大観賞受賞、15年同賞受賞。16年日本美術院同人推挙。20年12月2日~11日広島市立大学芸術資料館「藁谷実退任記念展」。その他個展・グループ展多数。20年度まで広島市立大学芸術学部・芸術学研究科教授。
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