ちょうど2年前に逝去したオクウィ・エンヴェゾーの遺展「悲しみと恨み―死を悼むアメリカのアート」が開催中だ(~6/6)。
アメリカ全土で危機的状況を引き起こしている黒人コミュニティへの人種差別に根差した暴力により失われた命を悼み記憶するためのアートを中心にした展観だ。
エンヴェゾーの企画と作家選定をもとに、すでに選ばれていた作品を中心に、生前の協働者たちが展観を完成させた。故人最後の企画展となる。
もともとは、昨年の大統領選挙にあわせ幕を予定していたが、コロナ禍で延期して2月17日にオープンした。はからずも、本稿執筆中の現在、昨夏大々的なBLM(Black Lives Matter)抗議運動の発端となったジョージ・フロイド殺害の被疑者で元警官のデレク・ショウビンの裁判が進行中だ。その渦中でも警官による黒褐色系(アフリカンとラテン系)の人々への暴行は続いているだけではない。コロナ禍に原因するアジア系への暴行も昨年来増加している。
こうした人種差別が原因の事件への「悲しみ」の背景には、今年に入っても収まらない銃による大量殺人に端的に表れている白人優位主義、さらに南北戦争以来の白人の「恨み」が潜んでいる。この「恨み」はトランプ前大統領によるツイッター上での扇動が直接の起因となり、1月の議会への乱入に代表される国内テロの脅威へと深刻化しつつある。展覧会題名の「悲しみ」と「恨み」は、そうした状況の二重性を語る。
時代を読むのはキュレーターの仕事の一つだが、エンヴェゾーの慧眼には瞠目させられる。何より、「今」の状況に呪縛されるのではなく、現在が過去につながっているという歴史を忘れない複眼視にオクウィの眼の成熟度がある。
長い抵抗の歴史は、ジャック・ホイッテンが抽象と社会意識を融合させた1964年の作品《バーミンガム》に見ることができる。警官と警察犬がデモの黒人を攻撃している新聞の写真を中心に据えつつも、公民権運動の発火点となった前年のバプチスト教会爆破事件を参照して漆黒の絵具で画面を塗り込み、金属箔の破れ目の奥の、さらに網目のストッキングの背後に写真を置いて、抽象言語で事態の深刻さを表現する。マーク・ブラッドフォードの最近の大作や、黒人知識人の著作やテレビ画像を植木鉢と共に黒塗りの金属棚に並べ音楽を派手やかに流すラシッド・ジョンソンのインスタレーション作品と同じ会場に並びながら、静かに存在感を主張する。
歴史の複眼視は、バスキアとケリー・ジェームズ・マーシャルの並置にもあらわれている。55年バーミンガムに生まれたマーシャルは伝統的な絵画技法を使いながら大衆文化も取り入れてキング牧師やJFKとRFKのケネディー兄弟の暗殺を悼む寓意的な《忘れ形見Ⅱ》を描き出す。一方、ストリート文化やヒップ・ホップを吸収したバスキアは《行列》でグラフィティの延長線上にアメリカ南部と自らのハイチとプエルトリコの出自を融合した独自の視覚言語を作り出した。
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