NY州では成人ワクチン接種率(少なくとも一回)が70%に達し、パンデミック472日でほぼすべての規制が解除。6月15日には州の各所で祝砲代わりに花火大会が行われた。
街の活気は一年前が信じられないほどに戻っている。それは美術館も同じだ。MoMAで6月6日に始まった「セザンヌの素描展」も、メンバー内覧ではコロナ以前とほとんど変わらない混雑状況だった(9月25日まで)。
同展は鉛筆や水彩、スケッチブックなど250点以上の素描を集めた画期的な企画だ。
私自身は以前からメトロポリタン美術館に常陳されている静物画水彩の新鮮な透明感に魅せられていた。今回は大量の水彩の風景や静物を中心に、人物や水浴風景なども出品されていて至福の時を味わい、会場のあちこちでオッと足の止まることも少なくなかった。
セザンヌの素描は「私のサンサシオン(感覚)に具体的な表現を与える」ために不可欠な作業だった。何かを見るという経験、そして絶えず変化する知覚を追求した巨匠は「毎日午後に素描すると翌日にはものがよく見える」とモーリス・ドニに語ったという。
セザンヌのサンサシオンや眼の問題は、サント=ヴィクトワール山の絵画連作でしばしば議論されるが、むしろ作家の眼を追体験したければ、水彩素描ほど格好の媒体はないだろう。特に水彩技法や紙質への理解が深まった後期には、物質ではなく光を見ようとした作家の姿がある。
たとえばMoMA所蔵の《葉叢》では、何度も繰り返して細部を追求し葉々の重なりをリアリゼ(実現)させていく。鉛筆で記した大まかな形態の上に絵具を重ねていくが、一つの色を塗ったら乾くまで待ち、その上に次の色を重ねる技法で、濁りのないイメージを構築していく。エミール・ベルナールが「半透明のスクリーン」と呼んだ技法だ。そして、さらにその上から鉛筆の線描が重なる。
作品形態としては習作だが、それ自体でも複層した抽象表現として魅力的だ。
セザンヌと言えば「リンゴ」と「サント=ヴィクトワール山」。油彩画では複数の視点が存在して難解な静物画だが、出品されている素描は全体としてストレートな表現が多い。一方、水彩によるサント=ヴィクトワール山も何点か出品されているが、興味深いのは、「風景をうまく描くためには、まず第一に地質的構造を発見しなければならない」と考えていた作家の岩の習作群は貴重だ。
地学への興味は、博物学者のアントワーヌ=フォルトゥネ・マリオンの影響があった。この博物学者はセザンヌによる肖像画もあるが、岩石や化石についての知識や最新の科学情報を作家に教授し、プロヴァンス地方のあちこちに一緒に写生旅行にも出かけている。
淡白な薄塗りで観察された岩肌は、重量のある物質としてではなく、一種の表面としてとらえられている。
さて、水彩のほかにも鉛筆素描も数多くあり、こちらは人体が中心になる。MoMA所蔵の《水浴の男》の油彩作品と関連する鉛筆素描やスケッチブックの頁も展示されていた。
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