美術市場について、日本政府が認識するようになったのは10年くらい前からだろうか。
日本では商品としてのアートという視点は長期にわたって無視されてきた。文化庁の扱ってきた個人の趣味というアート観と経産省の扱うデザイン産業という管理領域の間に落ち込んで、産業としてのアートという観点が欠落していたことは明らかだ。
しかし今や美術市場は立派な産業である。一般社団法人アート東京が行った「日本のアート産業に関する市場調査2020」によると、日本全体の美術品市場規模は2363億円である。ところで2020年の統計を見ると、コロナ禍で縮小したとは言え世界の美術市場は7兆5000億円、内訳を見るとアメリカが最大で42%、次には中国とイギリスがどちらもおよそ20%である。またそれぞれ数%のシェアだがヨーロッパの主要国がこれに続く。しかし、このチャートの中で日本は4%以下のその他の中に埋没している。
一方で各国のGDP国内総生産は1位アメリカ、2位中国で、一応3位が日本である。経済規模の大きさから言えば、日本の美術市場がこれほど小さいのは異常である。これは日本の美術市場が今よりもずっと大きなものに発展するポテンシャルを秘めているという期待もあおっている。
こうした議論の中で最近私が感じているのは、美術市場が分裂しているのではないかということだ。以前は、美術史的視点に則ったアカデミックな観点と美術館や美術評論の世界で生み出された美術業界としてのかなり堅固な価値判断=美学が存在していた。これがまずは基本の価値観のコミュニティーを形成している。
しかし最近はそれに加えて、きわめてマーケット・ドリブン(市場に牽引される)で、投資資金、芸能界、政治権力に接近して急激に知名度と価格を上げていくアーティストが目立ち始めた。これは第二のコミュニティーで、既存の美術業界の動きとはかなり異なり、ビジネスマンなどの新しいコレクターが支えている。ウォーホルでもバスキアでも、出てきたときには商業的だと見られていたのではなかったか。それが市場に定着し、オークションでも高額で落札されるようになると、その価値を認めざるを得なくなるという現象も見受けられる。となると、今登場している商業的な作家も、美術の歴史に残るようになる可能性があるのではないか。
第三のカテゴリーとして、ストリートカルチャーと結びついた、グラフィティー系のアートが無視できない市場を形成している。実はバンクシーもキース・へリングもバリー・マッギーも,ストリートカルチャーを背景にしている。これはこれで、アカデミックな価値観のアートとは異なるコミュニティーに支えられている。
そして第四のグループが、NFTのプラットフォームによって支えられるデジタル系のアートだ。NFT上のアートは、CGの様な彩色、より複雑な動画から構成されるものが多い。
これら四つのアート市場は互いの歴史や事情、美学を知らないで、島宇宙のように分裂している。既存の美術関係者が美術史的視点を持ってこれまでの価値基準を説明しようとしても、新しい市場のコレクター達は、聞く耳を持たない場合が多い。彼らは自分たちの感性と嗜好を信じて、これまでの権威主義的な美術史的価値観には従いたくはない、という。
こうした事情を助長しているのは、新しいデジタル技術である。またアートに可能性を見て参入してきた、新たな若手のビジネスマン達である。こうした新しい状況が日本の美術市場の規模の拡大に大きく貢献するのか、またそこから新しい美学が生まれるのか、美術評論家や美術専門家は、きちんと議論をすべき時が来ているのではなかろうか。