[通信アジア]ウクライナ問題から文化へ:青木保

2022年03月23日 10:00 カテゴリ:コラム

 

ウクライナの問題は一体どうなるのか。

 

これだけデジタル化、情報化が進み、グローバル化する世界であるはずなのに、相変わらず権力闘争覇権争い、武力暴力による血なまぐさい紛争・戦争が後を絶たない。しかもいまや大国主義が復活して近代以前に逆流したかのようである。

 

世界を分割する大国――アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、中国、インド……。東西冷戦が終わって民族や地域が自立・独立する時代が来たかと思ったが、それは儚くも脆い夢であったのか。

 

ロシアは領土拡張を臆面もなく主張するし、中国もまた南太平洋から尖閣諸島まで領土拡張の意図を隠そうともしない。アジアもこの大国主義に飲み込まれんばかりである。いや、すでに飲み込まれてしまったのかもしれない。

 

それにしても、ウクライナである。

 

先日、ロシア軍が黒海に面したオデッサを占領したとかしないとかの報道があったが、実は私がここ数年コロナ以前から計画していた外国旅行があって、それが黒海クルーズであり、その目玉の一つがオデッサを訪ねることなのである。

 

オデッサは黒海に面した有名なリゾートだが、何と言ってもチェーホフの好んだ場所で、彼の作品の舞台にもなっている。無謀な戦闘の場にならないことを祈るばかりだ。

 

ウクライナにまだ行ったことはないが、かねて行きたいとは思っていたところである。キエフもいい美術館や博物館があり、文化的に魅力のある都市である。そんな場所を攻撃するとは、あまりにも21世紀、2020年代というのに時代錯誤も甚だしい。

 

このコロナ禍で世界はそれこそ一致団結してウイルスに対抗し打ち克たねばならないのに、武力で侵攻し破壊や殺戮を重ねるとはどういうつもりかと誰しも思っているに違いないが、それが行われてしまうのも人間世界の現実だ。

 

世界も日本もいかにデジタル化の波に乗るかということばかりであり、スマホ片手に横断歩道を渡る人だらけの世の中になってはいるが、その裏面にはごく生々しい人間の欲望や情念、憎悪や情動の闇が深く存在することを改めて考え、感じ、しっかりと捉えることの必要を思わなければならない。

 

中国を見て北朝鮮を見て韓国の選挙を見てロシアの暴挙を見て、これはすべて日本の近隣諸国の現実である。

 

私はかねてロシアの文化のすばらしさを思い、またロシアには日本文化を称賛し愛好する多くの人たちがいることから、もっと積極的に日露の文化交流を推進すべきだと言ってもきたのだが、権力者も指導者も「文化のロシア」こそロシアの影響を世界に広める大きな力となることを深く認識するべきではないかと思う。あの東西冷戦のソ連の敗北も様々な理由があるにせよ、世界が米国に付いた大きな要因の一つにはやはりアメリカ文化の圧倒的な影響力があったと思わざるを得ない。大学からディズニーまで、大人も子どもも世界の人たちを引きつける文化の力があった。反対に、ソ連には見るべきものは何もなかったと言ってよい。

 

ウクライナの戦闘が一刻も早く収束することを祈るばかりだが、この情報化時代、世界の多くの人たちが多くの国や地域の文化に接することが出来る時代、実は魅力ある文化を創造できる国や地域こそ世界の覇者になる(こういう言葉を使うならば)ことが出来るのである、と声を大きく言いたいと思う。
(政策研究大学院大学政策研究所シニア・フェロー)

 


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