現在、国立新美術館で大規模個展「宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」(8月21日まで)が開かれている蔡國強と初めて出会ったのは1995年のことだった。
本紙を出版する美術年鑑社の社長である油井一人から、近年台頭してきている中国人作家で最も注目しているのが蔡國強だと聞いていた。アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)の助成でニューヨークに一年の予定でレジデンシーをしていると聞いて、さっそく面会を申し込んだ。
具体的に何を話したかは記憶にない。だが、英語で言えばThe rest is history=あとは言わずもがなで、今日まで公私ともに長いお付き合いが続いている。「日本」で成長した作家が「世界」の舞台にのし上がっていくのを、近くに遠くに観察してきた。
蔡との初仕事は、クイーンズ美術館で開催されたアメリカ初の美術館個展で、カタログにテキストとプロジェクト年譜を執筆した。福島県いわき市と作家の繫がりを知ったのはその時だった。
「この土地で作品を育てる、ここから宇宙と対話する、ここの人々と一緒に時代の物語をつくる」という蔡の言葉に魅惑された。思えば日本のコンテンポラリー・アートの特質の一つでもあるコミュニティ密着型の現代アートの作法を垣間見た最初だった。
太平洋岸の町との繋がりは作家が渡米した後も途切れることなく、蔡作品の一つの要となり、いわきは蔡の第二の故郷になった。
だから、いわきを一度は訪れてみたいと願っていた。今回の個展を共催し支援しているサンローランがいわきでの白天花火をコミッションしたと知り、この機会を逃すわけにはいかないと、飛行機を予約した
当日の6月26日早朝、品川から大型バスに乗り込み遠足気分。会場の四倉海岸に到着する頃には梅雨の薄曇りの空はよく晴れたイベント日和に変わっていた。体操服の小学生たちが海に向かって左側の特等席に陣取り、VIP席をはさんで、地元からも数多くの見物客が来ているようだ。
《満天の桜が咲く日》と題された8幕構成の白天花火イベントを作家自身がそれぞれ解説していく。一番最初の点火は作家自身だった(ちなみに「白天」というのは中国語で「昼」のこと。漢詩的な響きが美しい)。3.11の震災・津波・原発事故にみまわれたいわきの人々への追悼と祈念の言葉には愛情がこもっていた。数百台のドローンを駆使する予定だった第5、8幕は通信波の不具合で未遂に終わったが、それ以外の花火は、最大で幅400メートル高さ120メートルにおよぶ造形効果もさることながら、爆発に続いて龍雲のように湧きあがり視界に広がる色とりどりの煙に幻想的な気分は倍増した。
花火イベントの後は、作家が館長を務めるいわき回廊美術館で昼食レセプション。2000年に始めた《なんでも美術館》シリーズの一つで、いわきの友人たちとの協働作品だ。英語名をSMoCAというのは、全長160メートルの木造の回廊が蛇(Snake)のように、なだらかな山肌をぬっていることから。
ちょうど、桜をテーマにした地元の小学生の絵画コンクールの作品が展示されていて、蔡の花火のビジョンと響きあっていた。
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