(左から)筆者、アジア・ソサエティ美術館館長+文化・芸術部門バイス・プレジデントの中森康文;ジャパン・ソサエティ・ギャラリー館長(ディレクター)のミシェル・バンブリング ;ジャパン・ソサエティ芸術監督の塩谷陽子 写真 Japan Society ©️Daphne Youree
昨秋から今春にかけて、NYでは日本関係で新しい美術館長が二人着任した。
アジア・ソサエティ美術館では、中森康文が館長+文化・芸術部門バイス・プレジデントの大役に昨秋就任した。NYのアジア・ソサエティ美術館の館長を務めるだけではなく、ヒューストンと香港の美術館スペースも含めて、全アジアをにらんだ芸術文化のプログラムを統括する。
2月1日付でジャパン・ソサエティ・ギャラリーのディレクター(館長)に就任したのはミシェル・バンブリングである。
ともにしばらく空席の続いていたポジションで、昨今グローバル化する世界の中で、アジア、あるいは日本をどのようにアートや文化を通じてアピールしていくかという大仕事を任されたことになる。
ミネアポリス美術館で中森康文が企画した「ザ・プロペラ・グループ:転生」展の会場風景(2017年)。作家集団が同館収蔵品からアジア、アフリカ前近代作品及びアメリカ先住民作品を選び、作家集団によるフィルムと彫刻作品から構成される生死二界の繫がりを演出したインスタレーション
本欄(2015年10 月1日号)でも紹介したことのある中森は、弁護士から美術史家に転進した研究志向のキュレーターで、コーネル大学で博士号取得の後、ヒューストン美術館とミネアポリス美術館を経て、テート・ギャラリーでインターナショナル・アート(写真)部門の上級キュレーターを務めていた。日本の戦後写真史の研究で培った専門性を拡張して、映像を用いるメディア・アートへも守備範囲をひろげてテートに抜擢された。
広くアジアやアジアン・ディアスポラの作家たちを対象に、写真やモダニズムの作品の収蔵戦略をテート・ブリテンのために構築するなど幅広く活躍していた。
アメリカでは展覧会の準備に2年以上を要するので中森の企画展を見るのはまだ先のことになるが、今年に入ってからアフロ・アジアのコンセプトで現代美術研究に新境地をひらいた美術史家ジョーン・キーとアフリカ学の研究者との対談を企画したり、映像作家シャリン・ネシャットの近作上映会に際して自分自身で作家と対談するなど意欲旺盛なところを見せている。
「活力とダイナミズムを美術館にもたらしたい」と語っているが、それがこれからどんな形で実現されていくのか楽しみである。
テート・モダンで中森康文が企画した南アフリカ共和国の作家「ザネレ・ムホリ」展の会場風景(2020~21年)
対して、ミシェル・バンブリングは、コロンビア大学の修士課程で東松照明を研究し、博士課程では一転して金剛寺所蔵の重要文化財《日月山水図屏風》で博士論文を書いたのち、メトロポリタン美術館でポスト博士のフェローとして勤務。その後、アラブ首長国連邦(UAE)に移住していた。
経歴として興味深いのは、旧約聖書の申命記に由来する「Lest We Forget」(忘れないために)を冠したLest We Forget財団を2013年にUAEのアブダビで設立していることだろう。
同財団は、世代間の対話を活性化させるために、コミュニティーをベースにしたデジタル・アーカイブ、オーラル・ヒストリー、現代アートをミックスした団体で、バンブリングは写真を多用した展覧会をクリエーティブ・ディレクターとして19年まで主導していた。
中近東でローカルに考えてグローバルに発信した実績が、NYでどうつながっていくのか、期待されるところである。
ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーとドバイのエティハド・ミュージアムでミシェル・バンブリングが協働企画した「写真の対話:アラブ首長国連邦‐1971‐英国」展(2020年)の展示風景
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