5月下旬から6月上旬に2週間ほど日本で調査をした。いくつか見た展覧会のうち、響きあう回顧展が二つあったので、そのことを書き留めておきたいと思う。
その2展とは、大阪中之島美術館の「没後30年 木下佳通代」展(~8月18日)と神奈川県立近代美術館葉山の「吉田克朗―ものに、風景に、世界に触れる」展(~6月30日)である。
木下と吉田は、ともに1960年代の半ばから活動をはじめ、70年代作家として重要な足跡を残した後、絵画に新たな表現を見出していった作家である。その軌跡を通観するとともに、両展とも作家の残したスクラップブックやノートブックなどのアーカイブ資料を駆使して、制作の経緯や背景を明らかにしつつ、作品だけではなく資料そのものをも展示するという、最近の包括的な企画動向を示している。戦後美術の調査研究の進展を具体的に示すものでもあり学ぶことは多い。
題名に「没後30年」と銘打っているように、39年に神戸に生まれた木下は94年に亡くなっている。概して、作品の寿命は作家の寿命を凌駕していくものだが、作品の生命にも浮沈はある。写真をベースにした木下の70年代の作品を展覧会や図版で何点か見たことはあったが、どういう作家なのか関西出身の私自身も長く知らないでいた。その意味で、本展は起死回生の企画となる。
さて、60年代の木下は、当時夫だった河口龍夫がメンバーだったグループ〈位(い)〉に非メンバーとして関わり、「存在」への関心を共有することになる。そこに「知覚」や「視覚」の問題が重なり、72年から写真を使い始める。
どちらかというとトリッキーな写真の活用に始まり、粒子の荒い印画紙を用いた画面にフェルトペンの線を加えたり、折った紙にドローイングをしたり、様々な手法を開発していく。作家の思考は几帳面に記されたノートブックに溢れんばかりに残されている。しかしながら、精巧なコンセプトを繊細な作品に仕立て上げていくプロセスは時間と労力のかかる作業だった。
80年代になると、「存在」のコンセプトを認識論的に画面の上に表象する紙作品から、「存在そのもの」を画面の上に作る絵画へと転進し、「塗ること」と「拭うこと」を等価に扱う抽象へと結実させた。
一方吉田克郎は、「もの派」の一人として知られるが、この回顧展が示すように「もの派」の時期は、ほんの数年だ。葉山展の最初の作品は、いかにも「もの派」らしい紙と石の《Cut-off(Paper Weight)》だが、ジャパン・アート・フェスティバルの落選作品を再現したもので、「参考作品」として出品されているという屈折がある。
実際、本展は「もの派」を出自とした吉田が、本質的には「もの」の存在よりも、事物や人や世界に触れようと目指した作家だったと主張する。そのことは、特定の対象に網掛けをした都市風景のシルクスクリーンや道具類のフロッタージュをとりいれたドローイングにも見られる。より顕著なのは、晩年十数年に制作した《触》のシリーズで、文字通り黒鉛の粉末を手指でカンバスに塗り付けた生々しい触感のドローイング絵画である。
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