ギャラリーせいほうの田中譲さんが美術の世界に入ったのは1974年。日本は高度経済成長期を抜け、美術界では現代美術が隆盛を誇っていた。「もとは現代美術に興味があって。だから聖豊社に入った時はずいぶん古いものを扱っているなという印象でした。」
当時の彫刻界は木彫とブロンズが主流で、木彫の大家のアトリエには多くの弟子たちが働く時代だった。「聖豊社では裸婦などのブロンズは売れず、床の間に置くような木彫が売上げの中心。主な取引先は百貨店でした。その後、生活様式が変わってブロンズは多少売れるようになりましたが、抽象作品はほとんど売れなかった」と振り返る。それから40年、時代と共に大きく移り変わる彫刻界の中で、段々とその造形世界に魅せられていった。「絵はカンヴァスと絵の具だけど、彫刻の場合はいろんな材質を使って造形するから表現が幅広い。それが魅力です」。
80年代半ばに聖豊社からギャラリーせいほうの運営を引き継いだ。オイルショックによる不景気も、行政の奨励で世の中に野外彫刻が溢れる好景気も経験、時代とともに個人コレクターも増えた。今や銀座に数ある画廊の中でも彫刻に強い稀有な画廊として、佐藤忠良や舟越保武、柳原義達など物故作家から現在活躍する加藤豊、舟越直木、北郷悟ら、そして奥田真澄や三宅一樹、いしばしめぐみといった若手まで幅広く扱う。多くの彫刻家が同画廊での発表を望む現状に「伝統という強みは確かにある。ただ本音を言えば彫刻だけでは幅が狭い。何でもやるべきだったという思いもあるんです」と苦笑する。
近年、不況の波が再び日本を襲い業界を取り巻く状況は厳しい。その眼差しは今の彫刻界をどう見るのか。「若い作家を育てないといけない時代になってきてい ます。彫刻家というのは30代に芽が出て40、50代で成長していくもの。続ければ磨かれるが、続けることが何より難しい。だから発表の場を与え、10年でも時間をかけて育てていく必要があります」と語る。
「昔の作家は、研ぎ澄まされた精神と卓抜した技術で“生命感”というものを表した。それは時代の先をいく表現と評され、今なお色褪せません。一方で今の作家は時代に合せた、いわゆる“売れるもの”を作ろうとする。それらが果たして同列に語られるべきか。様々な評価があって良いが、高質な技術をもとにした、作家の魂が込もった作品こそが 今の時代に必要で、そのような作品を伝えていくことが、私の仕事だと考えています」。静かな口調に覚悟を滲ませて、田中さんはそう話を結んだ。(和田圭介)
ギャラリーせいほう
【住所】 東京都中央区銀座8-10-7東成ビル1F
☎03-3573-2468
【休廊】 日曜・祝日
【開廊時間】 11:00~18:00 (企画展開催時は18:30まで)
【関連リンク】 ギャラリーせいほう
「新美術新聞」2013年2月21日号(第1304号)5面より