メトロポリタンいろいろ 富井玲子
もう十年以上前になるが、アルバイトでメトロポリタン美術館の日本語ツアーをした時期がある。いわゆるVIPの案内で、某大臣が展示を見る前にショップへ直行、という稀有な同行経験をしたこともあった。おかげで、広大な館内を迷わずに西洋絵画からエジプトへ、アジアへ、アメリカへと縦横に歩けるようになったが、この何年かで改装や拡張、また大々的な展示替えもあり、初心者にもどったよう。
一番最近の変化は、夏シーズンを前に、近代以前のヨーロッパ絵画が大々的に展示が刷新された。十年一日のごとしだったのが、それこそ西欧のピナコテカやクンストハウスを思わせる重厚な雰囲気になり、視線がかなり高く、大画面を仰ぎ見る感じが強い。以前は展示室のあいだに脈絡がなく迷路のようで評判が悪かったが、今は入り口から階段を上って真直ぐに歩くと中世の宗教画からルネッサンスに抜け、右に歩くとスペインやフランスなど「暖かい」南の国々、左に歩くとオランダや北欧など「寒い」北方、という具合に整理されて時系列とコンセプトが明快になった。大人気のフェルメールやレンブラントは以前は右手方向だったのが、現在は左手方向の一番奥。難点はフェルメールの部屋が小ぶりで混雑気味な点だ。
総合美術館のメトロポリタンは収蔵品の幅が広いが、VIPツアーで私がお気に入りだったのは、エジプトのデンドゥール神殿の裏からアメリカ・ウイングに抜けてすぐの廊下に展示されていた野球カードのコレクション。古代文明の支配者を象徴する石の遺跡と、新世界の大衆スポーツに資本主義の結びついた紙の遺物が、一つの美術館の中で背中合わせに絶妙な対比を作っていた。
ただ、もう少しましな展示場所はないのだかろうか、と不満だったが、昨年、4年がかりのアメリカ・ウイング改装が完成してからは、中二階にあるルース・センターでテーマを変えて展示されている。今年後半は1900-19年のカード。当時は使用されていた球の仕様が現在と異なり、ホームランがほとんど出なかったから、一般に「デッドボール時代」と呼ばれている20年間で、ちょうどベーブ・ルースの登場する以前の時期だ。
同館の野球カードコレクションはジェファーソン・バーディックというコレクターが10歳のときから集めたものを寄贈した。1880年代後半、煙草の販売促進用におまけとして考案された多色刷りの野球カードはアメリカにおけるプロ野球の歴史をビジュアルに見せてくれる貴重な史料。1900年生まれの少年が同時代的にまた時代をさかのぼって蒐集した数は3万点で個人としては最大規模。それだけに美術館側は数回にわたる寄贈の始まった当初、整理もままならずお手上げだったらしい。それを本人が美術館の一隅に陣取りボランティアを使ってアルバムに整理。さらに分類システムを自前で作ってしまい、今ではそれが分類法の定番となっている。カード整理の大役を終えた2ヵ月後、1963年に逝去。オタクの鑑のような人物だった。[同館は7月1日から休館日なし] (富井玲子)
「新美術新聞」2013年8月1・11日合併号(第1319号)3面より