[通信アジア]建国から文化まで シンガポール リー元首相逝去:青木保

2015年05月31日 09:00 カテゴリ:コラム

 

先頃、シンガポールの建国の父リー・クアン・ユー氏が亡くなられた。私は1960年代後半からシンガポールに行くようになったが、この国の発展振りは見事というか、まさに訪ねるたびにさまざまな面での成長が見て取れて驚かされてもきた。隣国マレーシアとインドネシアというイスラム大国に取り囲まれての国家の運営は多大の困難が伴ったであろう。資源もない小さな旧英植民地での新国家の建設の成功はほかに例を見ない。20世紀が生んだアジアと世界の偉大な政治家であった。私は氏の生前二度会ったことがある。といっても一度は会ったというより見たに過ぎないのだが、いつだったか、成田空港で向こうから数人のお供を連れた大きな人が歩いて来るので誰かと思うと、それがリー元首相だった。まさに威風堂々という感じ、あっという間もなく前を通り過ぎた。

 

二度目は2008年の秋だったかと思うが、国際文化会館からリー氏が日本の学者たちと話がしたいというので会合を持つから出席しないかという誘いがあり、6、7人の大学の先生たちと一緒にリー氏を囲む夕食会に出た。そのときの元首相は実に打ち解けた様子で、私たちの言うことに楽しげに耳を傾けていた。

 

私はシンガポールの発展はすばらしいが、長い間文化の貧困が大きな欠点だと思っていた。21世紀に入ってエスプラネード(オペラハウスと演劇劇場の一大コンプレックス)を作るなど文化面でも力を入れてきたのはこの国の未来にとって大きな意味を持つなどと意見を述べた。リー氏は笑いながら文化も必要だといった。そのシンガポールはいま東南アジアの文化的拠点・中心となるといって学術・文化面へ並々ではない力を注ぎ込んでいる。大学はシンガポール国立大学をはじめ世界ランキングの上位を占めるようになり、文化施設も充実してきた。近く立派な新しい美術館もできる。映画も昨年公開されたシンガポール映画はカンヌで賞を取った作品だが、その映画は発展の陰に生じる困難な家族問題を描いていた。ようやく文化創造の面でも成果が現れてきたのだが、表現文化はこの国の発展の光と陰を浮き彫りにしてゆくことであろう。

 

最後に、リー氏の偉大なところは建国に際して若手でやる気満々の人たちの才能を信じて大胆に起用したことである。初期から都市設計で重用された旧知の建築家は、大学院を出たばかりの自分たちにリー氏は自由にやらせてくれたといっていた。文化のハブ国家シンガポールのこれからが見ものであり楽しみだ。

(国立新美術館館長)

 

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