日本の現代美術がなぜ海外で評価されているか、という質問をしばしば受ける。
何より革新性、実験性の高さが認められている、のが一番の理由だが(それは必要最低条件だろう)、学術研究・収集(美術館)・市場の三位一体の歯車が、この十年ぐらいのあいだに機能するようになった点も大きい。
その好例が、ヒューストン美術館からNYに巡回してきた「来るべき世界の為に―日本美術・写真における実験、1968~1979年」展だ。ジャパン・ソサエティとNY大学のグレイ・アート・ギャラリーの共同開催(会期はそれぞれ1/10、12/5まで)。
紹介されているのは総勢29人の写真家と美術家の作品。インスタレーションから額装のプリント、写真集や雑誌の印刷物からビデオまで、カメラが捕獲したイメージの多岐多様な表現を1970年代文化の問題とした探求で、非常に見ごたえのある展観となっている。
企画は、ヒューストン美術館の中森康文。石元泰博の写真集『桂』をテーマにした展覧会カタログ(2010年)でアメリカ美術協会(CAA)のアルフレッド・バー賞をうけた学究肌のキュレーターである。企画リサーチには美術評論家の光田由里が参加している。
(なお筆者は同展図録を共同編纂した。)
70年代の問題は複雑だ。美術のほうから考えると、コンセプチュアリズムが台頭していたとはいえ、いわゆるポストモダンに突入する以前の写真と美術の垣根は結構高い。写真の側では、ドキュメンタリー写真、そしてアレ・ブレ・ボケのプロボークの後をうけてコンポラ的な私性が強調される一方で、自主ギャラリー運動が起こるなど模索が続く。
二つの表現媒体を併置することで、その「間」とともに、二つに通暁する問題を考察しよう、という野心的なビジョンが根底にある。手前味噌になるが、私の持論である「国際的同時性」という大きな枠組の中へ、地道な研究で蓄積した知見を注入した点も世界美術史的な観点から重要だ。
これが学術研究の成果だとすれば、同展は美術館の収集成果の紹介でもある。特に、写真作品と写真集などの出版系共に、ヒューストン所蔵の写真作品が数多く出品されている。これが一つの資源となり、将来的にも他の美術館が借り出して展観し、日本の戦後美術の露出が持続して高まっていくよう、望みたい。
ところで収集には調査研究が不可欠だが、市場の成長も見逃せない。そもそも購入しうる作品が流通していなければ収集ができない。しかも、市場による経済価値の裏付けは、美術史的価値にさらなる価値を上乗せして美術館の購入審査でもプラス要因になるからだ。
秋シーズンの幕開けに、同展出品の北井一夫(ミヤコ・ヨシナガ)、野村仁(ファーガス・マキャフリー)、杉浦邦恵(レズリー・トンコノフ)、河口龍夫(タカ・イシイ)がそれぞれ個展を開催している(括弧内が開催画廊名)。同展を見て興味がわけば他の作品も見られる、欲しければ買える、という状況がNYで現出するとは20年前には思いもしなかったことである。
(写真はすべて筆者撮影)