仕事が二件あり、ドイツに出張してきた。
一つは、ハイデルベルク大学が石橋財団の助成で創設した日本美術史客員教授制度の十周年記念のシンポジウム。テーマは「日本美術史研究の現在―グローバルな視点から」で、日本というミクロな地域研究をどうやってマクロにもちあげるか、という最先端の問題意識をかかげたものだ。21世紀に入ってから探求されている世界美術史(world art history)やトランスナショナル(transnational=国家の枠組みを超えた)な美術史への試みの一環である(詳細はhttp://goo.gl/dtoUfd)。
三日間にわたる研究発表は、クリスティン・グートやサイモン・スクリーチなどの大御所による基調講演から博士課程をおえたばかりの学生の研究成果まで、内容的にも仏教美術から現代美術まで広範で充実した発表だった。
筆者は、60年代後半に多用された石を使ったコンセプチュアリズムやもの派の作品をロバート・スミッソンと同時代的に比較して世界美術史を周縁から組み立てる方法論を提案した(論文集が後日出版の予定)。
もう一つは、ベルリン自由大学で大学院生が企画した「物質に対峙する―科学の言説と美術の実践」という戦後日本美術のワークショップへの参加、私は松澤宥における現代物理学の位置について講演した。
アメリカではこの十年で事情は徐々に好転しているが、ヨーロッパでは戦後日本美術史を研究したくても指導教官がいない、という状況が圧倒的だそうで、二日にわたるワークショップは、若手研究者の交流の場となり、突っ込んだ議論も多発して久しぶりに学問の楽しさを味わうことができた。
今回確認できたことはいくつかある。現在、一つの到達点を見た具体研究も、特に個々の作家論で大衆文化や〈知〉の歴史との交差は未研究だし、〈物質〉そのものへの着目で作品分析を見直す方法論など、まだまだ新しいことができそうだ。また、トランスナショナルな戦後美術研究のテーマとして〈書〉を忘れてはならない。市場で隆盛な中国のインク・アートに対して、戦後に絵画と交流していた日本の前衛書、また台湾・香港における書の問題、さらには中近東のカリグラフィーの伝統など、コンテンポラリー・アートの文脈からあらためて検討していく余地が十分以上にあるわけだ。
残念ながら美術館で作品を見る時間は少なかったが、いくつか面白いものがあった。ハイデルベルグの民族学博物館は、エデュアルド・フォン・ポートハイムがアジアで収集した文物を展観しているが、シンポジウム参加者のための特別展観で出てきた明治時代の観光写真アルバムには、ページの周囲に手彩色でイラストが施されているのが珍しかった。
また、戦後日本の石の作品は河原から拾ってくることが多いとハイデルベルグで発表した後で、ベルリンのアジア美術館で李禹煥の石と鉄板の作品にでくわした。川石というよりは山石のような風貌なので、現地調達のドイツの石かも、と想像をたくましくしている。
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