昨年の9月1日号で、ボストン美術館の「キモノ問題」に触れた。モネの《ラ・ジャポネーズ》の展観に関連して、モネ夫人の着ている赤い打掛を再現したキモノの試着が「人種差別的」「帝国主義的」だとして抗議運動がおこり、予定されていた試着をキャンセルした、という事件だ。記事では、文化理論的背景を説明するとともに、グローバリズムとポストモダンの観点から私見をのべた。
さる2月7日午後に、この問題を議論するパネルディスカッションが同館で開催され、筆者もパネリストとして参加した。
メンバーは、同館館長にくわえて、抗議派リーダー格のクリスチナ・ワン、文化と表象の問題を研究するエレナ・クリーフ、ライアン・ウォン、バーバラ・ルイスだった。
冒頭の館長挨拶が「陳謝」で始まったのには、正直驚いた。美術館も思慮の足りなかった部分は多々あったわけだが、半年前の事件であり、お詫びのプレスリリースなども出し、催事の内容も改善して、十分に「反省」の態度を示していたのではなかったのか?
パネリスト同志の意見交換は、それぞれの立ち位置からキモノ問題を考え、着物の歴史や異国趣味の変遷、さらに黒人の表象問題などが提起されて、論点豊かに進行した。
ほぼ満席の客席は、美術館に批判的な意見が討論で披瀝されると拍手がひときわ大きく、抗議派に賛同する観客が多かったと思われる。
そして、遠隔からでは見えない「キモノ問題」の核心が表出したのは質疑応答だった。「白人の機関(white institution)」や「白人至上主義(white supremacy)」という言葉が飛び出し、抗議派に「人種差別」への意識が強いことをはからずも露呈した。
対・抗議派、つまり日本系で着物を謳歌する人たちからは「どういう条件だったら打掛の試着を許容するのか」という質問も出たが、抗議派に具体的な提案があるようには聞こえなった。
美術史家の立場から、私は「人種差別」の位相ではなく、美術館の「西洋中心主義」に焦点をシフトして考えてみると「脱中心化」が具体的かつ有効な方法論として活用しうること、さらには同館の豊富な収蔵品から着物関連の作品を探して鑑賞する「キモノ・サファリ」のような教育催事もありうることを提案しておいた。
しかしながら総じて言えば、ボストンの「キモノ問題」はキモノの問題ではなく、ましてや「日本文化」の問題でもなく、周縁感を根深くもつアジア系アメリカ人の憤懣がソーシャルメディアの広がりにも助けられて結晶した一種の抗議運動、と理解すると分かりやすいだろう。
これは、米国の大統領予備選で左右ともに移民や金融の問題で極端な主張を支持する動きが大きいのに対応しているといえる。現実的な解決ではなく「抗議」の主張が先行する。だとすれば、存在が「悪」の美術館がいくら陳謝しても、問題は解決しないことになる。
なお討議の様子はYouTubeで鑑賞可能(youtu.be/_M0m8qaXrus)。またキモノ問題を追跡しているブログも今回知った(japaneseamericaninboston.blogspot.com/)。
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