日本国内で、初めて本格的な国際展 横浜トリエンナーレが始まったのは2001年であった。その時は美術関係者にとって、まっとうな国際展を始めることは悲願だった(それ以前の新聞社による様々なビエンナーレ展についてはここで言及しない)。しかしその後、日本では国際展創設のブームが起きた。今年の状況を見ると、今や老舗といえる瀬戸内国際芸術祭、すでに数回目となるあいちトリエンナーレ、そして新たに立ち上がるのが、さいたまトリエンナーレ2016、KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭、岡山芸術交流 OKAYAMA ART SUMMIT 2016、みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2016と、目白押しである。
私も、そのひとつ茨城県北の芸術祭を引き受けている。私が県北芸術祭を引き受けた理由は、20年前から茨城県守谷市のARCUSというアーティスト・イン・レジデンスの審査員をつとめてきたからだ。
さて芸術祭のコンセプトを考えるに当たって、茨城県の歴史・文化を調べてみた。茨城は岡倉天心のいた五浦がある。またクリストがアンブレラ・プロジェクトをやったことでも知られる。意外にアートと関係があるともいえる。歴史的には高萩では常磐炭鉱が栄え、日立では銅山が日立製作所の拠点となってきた。つくば市では1985年に科学万博が開かれ、今は大学町として栄えている。しかしそれを取り巻く、自然も素晴らしく、海側では太平洋に開け、山側には大子町や常陸大宮市、常陸太田市の里山風景もある。
ということで、それぞれの要素を勘案して茨城県北芸術祭は自然と対話するアート、科学技術を使ったアート、そして地域と対話するアートという三つのカテゴリーから構成することにした。またハッカソン(ハッキングとマラソンの合成語)でアーティストを選ぶという、芸術祭でも始めての方法論で参加アーティストを選んだ。ARCUS出身のアジアの作家も大勢招いた。結果として全部で80組以上の参加作家を組織した。
一方で最近、藤田直哉氏が『地域アート――美学/制度/日本』という本で、地方の経済活性化、観光振興のために使われるアートの功罪を論じた本が出たことに注目したい。この本自体は大変刺激的で、興味深く読んだ。そこで感じた大きな問題は、アート業界の中で純粋なアートを守ることと、経済振興や、街作りのツールとして利用されるアートというもののどちらの意義を重視するのかということがあるように思う。もちろんアーティストは具体的に何かのためと思って作品を作っていない場合も多い。しかし一方でアートは社会にとって、どういう意味があるの、という問いを否定することも出来ない。ヨーロッパの歴史で見ても、中世には教会が布教のツールとして美術を利用してきたし、日本でも多くの場合寺院や武家の権力とともにあった。アートが目的から無縁で純粋な立場でいたいという気持ちはわかるが、それは現実を見ないことにもつながるだろう。
地方振興の期待を担う芸術祭の提起するアートとは何か、という問いにも思いを巡らしながら、一方で、誰にでも楽しめる、質の高い作品を見せる責務と喜びも感じつつ、準備中の茨城県北芸術祭は9月17日に開幕する。結局のところ、芸術は、見て、感じて初めて意義があるのだから。
(森美術館館長/KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭 総合ディレクター)
【イベント】KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭
【会期】2016年9月17日(土)~11月20日(日)
【会場】茨城県北地域6市町(日立市、高萩市、北茨城市、常陸太田市、常陸大宮市、大子町)
【関連リンク】KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭
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