「描かれていないもの」の更新
「月を描いた日本画」といえば何を思い出すだろうか。群青の空に映える満月や、桜満開の春の夜。複数の作品をイメージする人も多いだろう。それに比べ「太陽を描いた日本画」はまだ少ないように思われる。
「この作品では何よりも太陽を描きたかった」。今年の「第72回春の院展」で初出品・初入選を果たした岩谷晃太は、出品作《鳥と太陽》についてこう述べる。直接スケッチすることができない太陽を、どのように描き出すか。試行錯誤の中、飛翔する鳥や天動説のイメージを取り入れた。
両親は洋画家。抽象表現に取り組むその姿を見て育った。自身は別ジャンルである日本画の具象表現を志し、4浪を経て藝大合格。現在は修士課程で、ともに院展で活躍する手塚雄二と吉村誠司に師事している。学部時代は「幻想的で絵になりやすい」夜景をよく描いていたが、「人と違った絵を描きなさい」という師の教えを胸に、今回太陽に挑んだ。夜から昼へ。新たな試みだった。
岩谷は毎日の制作を「素材の実験」に例える。「塗り重ねる、洗う、削る。日本画には繊細なイメージがありましたが、和紙は意外と強い」。熱湯をかけた結果、絵具が全て溶けてしまうこともあった。最近は筆よりも雑巾を使うほうが多く「いわば雑巾画です」と笑顔を見せる。日本画のルールには拘るが、日本画も油画も「絵画」という大きな枠の中で捉え、厚塗りのマチエールからはアンフォルメルの影響も窺える。制作が実験ならば、団体展は「研究」の場。春の院展では先輩の技術や、自分の絵が会場に混ざる感覚が刺激となった。
次作ではまた異なる画題を見つけ「描かれていないものを更新していきたい」と語る。それはつまり「絵になりづらい題材」への挑戦である。今が模索の時。岩谷にとっての新たな「太陽」が現れる日を、期待を込めて待ちたい。
(取材:岩本知弓)
岩谷 晃太 (Iwatani Kota)
1989年東京都出身。洋画家の父母のもとに生まれ、アトリエや画集が身近にある環境に育つ。4年間の浪人生活を経て、2012年東京藝術大学絵画科日本画専攻入学。現在修士課程2年。修士課程では手塚雄二と吉村誠司に学び、制作と並行して「伴大納言絵巻」の模写にも1年間取り組んだ。東京九段耀画廊、千駄木・フリュウ・ギャラリーでのグループ展などを経て、今年の「第72回春の院展」(全国巡回中)に初出品・初入選。
【関連記事】
第72回春の院展、日本美術院春季展賞(郁夫賞)に山本浩之《考える》