[通信アジア] ドクメンタ、ミュンスター、バーゼル訪問:南條史生

2017年08月10日 17:42 カテゴリ:コラム

 

ドクメンタのメイン会場前に設置されたマルタ・ミヌヒンの「本のパルテノン」

ドクメンタのメイン会場前に設置されたマルタ・ミヌヒンの「本のパルテノン」

 

今回は世界に冠たるドクメンタ(カッセル会期:6月10日~9月17日)とミュンスターの彫刻プロジェクト(6月10日~10月1日)、そしてバーゼルのアートフェア(6月15日〜6月18日)について、アジアの視点から速報しようと思う。特に今回は5年に一度開催のドクメンタと10年に一度開催のミュンスター彫刻プロジェクトが同時に開催される貴重な年だ。

 

さてドクメンタを私が見始めたのは1976年だったが、それからすでに40年が過ぎた。その間に回を重ねて世界でも最高峰の現代美術のイヴェントに発展した。今回はディレクターにアダム・シムジックを招き、彼は、20人近いキュレーターチームを編成した。会場はカッセルだけでなくアテネでの展示を加えて二都市開催となっている。アテネの展示はドイツに先駆けて4月8日から始まった。私はアテネを見ていないからコメントは差し控えるが、ドイツとはかなり違う静かな展示だったらしい。

 

カッセルの展示会場は37カ所。メイン会場フリードリッチアヌムは、ギリシャ国立美術館の所蔵品による展示を行った。そこにはクネリスをはじめとするイタリアのアルテポーヴェラ系の作家やヨーロッパの大物現代美術作家などが目につく。そしてその中にギリシャの作家、そしてわずかにアジアの作家が混じっている。特にフリードリッチアヌムで目についたのはキムソジャである。

 

会場は全部で何箇所に分散して、ドクメンタハーレやノイエギャラリー(新美術館)などこれまで使われてきた建物の他に新しい建物も登場している。特に郵便局本局だった建物、あるいは州立博物館、市立博物館、あるいは教会など。中でも見逃せないのは郵便局で、現代美術の今を見せる作品が多い。既視感はあるが床の上でのたうつようにダンサーが踊る作品も登場。

 

古い美術館であるノイエギャラリーの展示は濃密である。ここは、強く歴史的視点が盛り込まれ、美術史的に意味のある古い作品と、現代の作品が網の目状に絡んでいるような印象を受けた。特に印象的だったのは、アマル・カンワールの静止画のように美しいショットを重ねた映像作品。それから、断食のために頰がこけて、骸骨のようになったガンダーラ時代の仏頭が、印象的に残った。ここに日本人現代作家の登場はない。

 

しかしドイツとギリシャの関係をコンセプトの基軸にするのは、つい最近のEUの問題なしにはありえなかったのではないか。このようなEUの地域的な問題を世界最大の現代美術展のコンセプトとすることは意味があるのだろうか、という疑問も浮かぶ。あるいは昨今の国際情勢のように、結局すべては地域的な問題に回帰しようとしているとの現象を象徴していると言うことなのであろうか? 中国人の評論家の言葉「ここには未来がない」が印象に残る。

 

ピエール・ユイグのスケートリンクのランドスケープ=ミュンスター

ピエール・ユイグのスケートリンクのランドスケープ=ミュンスター

 

ミュンスターはそれに比べて、もうすこし開かれている。特に印象に残ったのはピエール・ユイグがスケートリンクの床を切り込んで、一種のランドスケープを作ったような作品。定番のように蜂の巣も登場している。またアイシャ・エルクマンは運河の水面下に橋を渡し、水上を人が歩いてわたれるようにした。これも意表を突く。グレゴール・シュナイダーは美術館の中に迷路を構築した。そして荒川医(あらかわ・えい/福島県出身)の草原にモニターを設置した作品もユニークである。これらは、空間や場の対話こそが一つの醍醐味になっていて、誰でも楽しめる要素を持っている。また田中功起はインスタレーションとモニターでこの地域の核シェルターについての意欲的な作品を展示。日本人作家のプレゼンスはうれしいが、アジアの作家はここでもきわめて少ない。

 

スボド・グプタのカレーレストラン

スボド・グプタのカレーレストラン=UNLIMITED

 

バーゼルのアートフェアは、相変わらず巨大で、見切れない。ここでは日本のギャラリーは以前に比べるとかなり減っている。いつも私が楽しむのは、大型作品を集めたUNLIMITEDだが、ここにも日本人の作品はない。やはり極東からここまで大型作品を運ぶコストは馬鹿にならないのであろうという予測もつく。印象的だったのは、スボド・グプタがかんからをつって家の形を作り、その中でカレーを振る舞っていたことだ。そこだけはアジアの活気と人間くささを感じた。アジアのギャラリーが少ないのは、アジアの作家は香港バーゼルでどうぞということか。しかしそれぞれが自分の地域に閉じ込められたら、文化の交流、他者との対話は生じない。アートは、もっと開かれていていいと思うのだが。(森美術館館長)

 

 


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