[通信アジア] シドニー・ビエンナーレとアート・バーゼル香港:南條史生

2018年07月26日 18:18 カテゴリ:コラム

 

アイ・ウェイウェイの巨大なボートと難民作品《旅の掟(Law of the Journey)》

アイ・ウェイウェイの巨大なボートと難民作品《旅の掟(Law of the Journey)》

 

シドニーのビエンナーレの開幕に行ってきた。今回のディレクションは、森美術館のチーフキュレーターの片岡真実である。これだけ老舗のビエンナーレのディレクターに抜擢された初めてのアジア人(日本人でしかも女性)ということで快挙と言うことが出来るだろう。

 

テーマは「SUPERPOSITION:Equilibrium and Engagement」(スーパーポジション:均衡とエンゲージメント)で、今日の世界の不穏で不透明な政治・経済・社会状況を反映したものとなっている。

 

会場は7カ所に分散しているが、特に印象が強かったのは、コカトゥー・アイランドとキャリエージワークスの2カ所である。コカトゥー・アイランドは、2008年から登場した会場だが、一種の産業遺産と言える島(ユネスコの世界遺産に登録)で、いまだに巨大な工場や重機が大量に残っている。こうした会場は、強烈な印象を与えると同時に、作品と場のマッチングが難しいとも言える。また空間のスケールからして、作品もかなり大きなものでないと負けてしまうだろう。

 

そのような会場だったが、メインのいくつかの作品のなかでもアイ・ウェイウェイのゴムボートに乗る難民を巨大なスケールで彫刻化した作品《Law of the Journey》は、もっとも人目を引く作品となっていた。また日本人では柳幸典が、犬島で胚胎し、2017年のヨコハマトリエンナーレに出品した核エネルギーと原爆などが相互に関連した大型インスタレーションを再構築し、さらに実物大リトルボーイを吊り下げ、核実験の映像を流しある種の不穏さを醸し出した。またミット・ジャイインは、ランダムに飛び散った絵の具の作り出す巨大な平面を展示して、絵画とは何か、という過激な問を見せているように思えた。

 

さらにアブラハム・クルズヴィエイガスはコカトゥー・アイランドで廃棄された資材や家具などを組み合わせて吊し、ラフで日常的な素材が構成する美学が健在であることを見せていた。

 

キャリエージワークスは、市内にある操車場の工場だが、今やアートのオルタナティブスペースとなっている。ここではアボリジニーの絵画、セミコンダクターの映像、ローラン・グラッソの映像など、いずれもスケールの大きな作品が暗闇の中に点在し、鑑賞体験として、強い印象を残した。マルコ・フシナートの作品は、長さ24メートルの白い壁をバットでたたくだけの観客参加型だが、増幅されたすさまじい音が出るので皆の意表を突いていた。

 

2014年、政治的な問題に巻き込まれて創設以来のスポンサーを失い、今回は資金的に大変苦しい開催運営となったようだが、総合的に見て、大変評判が良いビエンナーレとなって、国際的なキュレーションという側面でも日本のプレゼンスを強化できたのではなかろうか。

 

さてそれから一週間後にアート・バーゼル香港を訪問した。アートフェアは相変わらず盛り上がって、同時期にオークションも開催され、欧米の一流ギャラリーは自社のアーティストの展覧会を展開し、さらにオルタナティブスペースでは多数の展覧会が開催された。その中でも特筆に値するのは、もうすぐ開館するセントラル・ポリスステーション美術館である。これは元々警察署だった建物群をジョッキークラブという競馬の財団がショッピングモールとして再開発するプロジェクトだ。6、7棟立つ古い警察署の建物はショップやレストランになるが、中庭にはヘルツォーク&ド・ムーロンの設計で新しい美術館が建ち上がる。そこで、この美術館主催が下見のための展覧会を開催したのだが、建物はまだ工事が進行中なこともあって、邪魔にならないようにきわめて控えめな作品だけで構成されていた。しかしミニマルの極限に向かってキュレーションされた展覧会は、作品が楚々としていても意図が明確で全体のインパクトは鮮烈な時がある、というような80年代に体験した事実が思い出されて、考えさせられた。 (森美術館館長)

 

 


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