銅板を磨け。傷をつけろ。色々なアイデアがあっても銅板に立ち向かわないと何も始まらない。もたもたしているとそれはどこかへ行ってしまう。銅板に何でもいいから傷をつけないと。しかし銅板はなかなか手強い。金属の板。鉄なんかよりは大分柔らかくて粘り気もある金属だけど手を加えていない鈍く光る銅板は四隅の角も尖っていて痛々しい。
そこでまず四辺の縁をヤスリで斜めに落とす。ある程度磨く。版面も磨いていく。やがて輝いてくる。
ああ奇麗だな。
ただの銅の板だったものが銅版になっていく。しかしすっかり美しくなった銅版は美しすぎて増々手をつけ難くなる。でも勇気を持って何か傷をつけないと。少し引っ掻いてみる。削る。磨く。彫る。腐食させる。そしてそれをまた削り取って磨いて彫って磨いて…そうこうしていると描きたかった最初のイメージとは段々違うものになっていく。だらしない女の寝顔を描いていた画面はすっかり消えてそこに少年が二人現れた。
ああこれは創世記のカインとアベルだ。
兄が弟を殺してしまうという人類初の殺人事件。アダムとイブも描いてしまおうか。折角だから羊も描こう。昔は植物も多かっただろうから草や花も沢山描こう。こうなると当初の銅板に怖じけていた自分はもういない。銅版と対等になったのだ。ただ調子に乗って銅版に勝とうとすると痛い目を見る。最後まで銅版に敬意を持たなくてはいけない。こんなことを繰り返している。そして次の手つかずの銅板が待っている。また磨かないと、傷をつけろ。彫れ。考えていても始まらない。
事件は銅版の上で起きるんだ。
※ただこんな事が終わっていざ刷るとなるとまた別の意識が必要で画家や詩人みたいな脳からある程度職人的な脳に頭を切り替えなくてはいけないのです。
重野 克明 (しげの・かつあき)