一見すると抽象的な私の作品は時として具体的なイメージが元になることもある。今は日本庭園が制作のソースになっている。
古来より日本人は盆栽や盆石、和菓子など自然を模した意匠や世界を作り自然を愛でる心を大切にしてきた。庭も自然の世界を手本に人が作った自然界と言える。大海や山、川や滝に見立てた岩組や枯山水は極めて抽象的だ。昔から抽象造形のセンスを持っていた日本人。
私の造形制作も自然からの恩恵を強く意識している。造られた自然界は、自然を意識した彩色を試みる私に様々なヒントを与えてくれる。経年や季節によって変化する苔庭、葉や池の表情。しかし美しいだけが自然の世界ではなく時に人を襲ったりするのも自然の姿だ。腐りかけた葉や枯れた木々も静かな色を放つ。
絵画の制作は自然現象を見つめるように、静かに画面に向かってゆく。大量の水で溶いた絵具は部屋の湿度によって乾燥の速さや仕上がりも変わる。空気や湿度を感じながら刷毛で重ねる画面造りは、重力によって沈んでゆく絵具の音が聞こえてくるようだ。そして水や空気の力を感じながらの制作は、頑張りすぎても、また虚ろな気持ちでも立ち向かえない。やはり自然体で臨むしかない。上手くいったか否か、制作の結果すらわからない。混乱に陥るより先に絵具は乾き始める。常に水と絵具に委ねるという制作スタンスは、半分は自然現象の力、半分は私の意思と思考と技術力。その両方が息をするがごとく、ごく自然に渾然一体となる……しかしてそれは、いつできるようになるのやら……。
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尾形純(おがた・じゅん)
1962年東京都生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了。文化庁在外派遣研修制度でニューヨークに留学。絵画・壁画の修復作業に従事。98年帰国後は、「茶の湯」や「日本庭園」をテーマに抽象絵画、パブリックアートを制作。近年は海外でも展覧会を開く。