弘前れんが倉庫美術館が6月1日に市民限定で開館した。
新しく誕生した弘前市立の美術館は4月11日に開館の予定だったが、新型コロナウイルス拡散防止の政府方針に沿って、ずっと開館延期になっていた。しかし現時点(6月5日)まで弘前市では、新型コロナウイルス感染者が一人も出ていない。そこで5月21日に政府の緊急事態宣言が特定地域を除いて基本的に解除されたことを踏まえて、まずは市民のために来館対象を限定して開館することになった。今後は、一般公開も検討中である。
建物は明治・大正時代に酒造工場(後にシードル工場)として建築された煉瓦造りの建物で、今や100年ほど経っている。2018年には、この建物の改修工事から美術館自体の立ち上げ、15年間の運営のすべてをパッケージ化して民間に依頼するPFI事業のコンペが行われ、その結果スターツ社を代表とするグループがこれを受注した(私の個人会社N&Aもこのグループに参加して、運営を担当している)。
美術館の指定管理やPFI方式について、美術業界では否定的な意見が多い。しかし私は受注者が経営判断の自由を確保しつつ、学芸員も雇い、アカデミックな視点も理解・反映させて運営し、経営努力による効率化、収入の安定化などアメリカ型に近い美術館運営が行われるのであれば、指定管理やPFIはこれからの日本の美術館運営に新しい可能性をもたらすと考えている。運営、経営という言葉を聞くと耳を塞いでしまう美術関係者がいることは、将来の発展にとって不幸である。
さて、この倉庫建築の改築は新進気鋭の若手建築家・田根剛に依頼することになった。一番困難なのは、耐震構造強化の問題である。既存のレンガ構造だけでは現在の耐震基準を満たせない。そこでレンガ壁の上からドリルで細い穴をあけ、そこに鋼棒(こうぼう)を挿入する大変手間のかかる方法が実施された。田根氏のデザイン・コンセプトは「記憶の継承」で、その精神は元の建物に出来る限り変更を与えずに改修することである。そのストイックなポリシーは、同氏が長くヨーロッパに滞在し、今でもパリに事務所を構えているおかげかもしれない。ヨーロッパは、古い建物をそのまま保全し、転用していくことに一日(いちじつ)の長がある。氏が自分のアイデンティティーを打ち出したのは、新たに葺かれた淡い金色のチタン屋根(シードル・ゴールドと呼ぶ)と入り口のれんが積みアーチ構造である。
古い建物の改修である以上、自由に機能を盛り込めるはずもなく、その結果、同じ空間を時期や時間に合わせていろいろな目的に使い回わすという考え方(タイムスペシフィック)と、場所の特徴を生かす(サイトスペシフィック)という考え方が、空間のコンセプトになっている。
開館記念展は、キュレーターの三木あき子氏に依頼し、「Thank You Memory ―醸造から創造へ―」 と題し、街の記憶、煉瓦倉庫の歴史、建物改修の記録、街の人たちとの交流がテーマになった作品が紹介された。まさにサイトスペシフィックな展覧会である。なかでも最大の作品はナウィン・ラワンチャイクンが製作した全長14メートルの大作で、そこには煉瓦倉庫や町の歴史を語る市民の顔が多数登場し、巨大吹き抜け空間の壁を埋める力作となっている。
新型コロナウイルスの問題はあるが、今後青森は台湾、韓国、香港、シンガポールなどアジアからのインバウンド観光の新しい地域になる可能性がある。その時に、著名な建築家が建てた美術館が5つ揃う(青森県立美術館、十和田市立現代美術館、青森国際芸術センター、弘前れんが倉庫美術館、八戸市新美術館)と美術館県青森は、自然と文化を提供する、新たなデスティネーションとして浮上するのではないだろうか。