[通信アジア]香港大学で想ったこと:青木保

2019年07月21日 16:00 カテゴリ:その他ページ

 

5月末から6月初めにかけて香港へ行ってきた。香港大学で講演をするためである。

 

この執筆をしている7月2日現在、新聞などの報道によると「逃亡犯条例」の改正案の完全撤回を求めるデモは激しさを増してデモ隊の一部が立法府を占拠する事態になっているらしい。私が訪れた頃にもすでにデモは起きていたが、そんなに激しくはなかった。

 

私は3日間香港大学に滞在していて、街中には大学周辺に参加者たちと食事に行ったほかは出る機会がなかった。香港大学は山の中腹に建てられていて、校舎間の移動も急な坂道の往復も大変である。しかも私が泊まった大学のゲストハウスは山腹の一番高いところにあった。一度戻ると、もう下界に降りる気はしなくなる。すべてタクシーを呼ぶよりほかはない。静かで部屋も悪くはなかったが、いつも愉しむ街歩きはできなかった。

 

「一国二制度」は、実に運営が難しいものなのであろう。1997年に英国から香港が返還されたとき、この制度は当然のように受け取られたが、その頃誰が現在の中国、「米中」覇権争いと言われるような世界を二分するくらいの強大国になると、思っていただろうか。ただ一国二制度をいう以上、香港の「自治」は守られるべきだというのは世界の納得することではないのかと思う。難しい問題で、外部の人間が容易に口を挟めることではないが、何といっても香港は英国の植民地であったわけで、戦中日本も占領したし、その歴史を考えれば、中国にとっての香港の存在には底深い歴史の深淵に横たわる問題があろう。それをよく考えなければならない。

 

香港の文化といえば、私にとってはまず映画であるが、返還後の1998年に制作された「玻璃の城」(メイベル・チャン監督、レモン・ライ、スー・チー主演)は忘れられない。シンガポールのディック・リーの音楽とともに、香港の二代にわたる男女のラブ・ストーリーが返還に至る時間軸に合わせるように綴られた魅力的な映画で、劇場で数回見た。主演の二人はお気に入りの俳優で、出る映画は必ず見ると言っていたくらいだが、近年はほとんどお目にかかれない。そういえば、香港大学でのシンポジウムで会った人たちにあのブームを起こした香港映画はどこに行ったの、と聞いてもはっきりした答えはなく、圧倒的な観客のいる大陸での映画制作に行ってしまったとの侘しい返事が返ってきた。

 

私は「花様年華」のウォン・カーウァイ監督の新作をひたすら待ち続けているのだが、「玻璃の城」には、一般に騒がしい街の香港の、静謐な深みのある美しい場面が幾度も出てきて館名を受けた。この映画では主人公の二人が香港大学の同窓生との設定になっていて、学生寮やキャンパスの一部が印象的に描かれていた。

 

この大学にはこれまで何回か招かれたことがあるが、映画にも出てきた坂道には毎度苦労した。しかし、英国的なシステムを踏襲するこの大学では講義その他は英語によるし、教授たちもほとんどがオックスフォードやハーバードの博士号を持っている。それに今や世界の大学ランキングでは大概の日本の大学よりも上位を占める。久しぶりに訪ねて一種意気の良さを感じた。日本の大学ではまず感じることのないものである。

 

残念ながら、近年アジアの大学に行って感じるのは、日本の大学の凋落ぶりである。

 

香港では九竜の西区のあたりに一大文化特区を作る計画があり、劇場などの文化施設を作るとのことだが(数年前、企画本部を訪ねて話を聞いたことがあるが、現在の様子は見ていない)、そこに北京の故宮博物館の別館ができるという。大学で会った人たちも詳しいことは知らなかったが、今度は大陸からの文化進出に何か複雑な表情であった。

 

不動産価格は東京以上に高く、経済は好調に見える香港であるが、将来どうなるのか。私は講演でも「文化力」を強化することに「自由都市」香港の未来があると思うと話したのだが、飲茶も広東料理も素晴らしく大学も張り切っているし、まだまだ魅力的な、日本にとってもいまその動静が見逃せない東アジアの注目すべき場所・都市・地域である。(政策研究大学院大学政策研究所シニア・フェロー)

 


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