米中対立、北朝鮮問題、日韓関係、インド太平洋問題などなど新年になったとはいえアジアをめぐる情勢は楽観を許さない。
それにコロナ禍である。この2年近くアジア諸国・地域を訪ねることもままならない。新しいコロナウイルスの蔓延が危惧さ
れる現在であるが、何としても、早く海外渡航が出来るようになってほしいと願うばかりである。
政治や安全保障の面では剣呑な状態が続くアジアではあるが、他に目を移せば良い面楽しい面も伝わってくる。特に食文化に関してアジアは宝庫であろう。そこで台湾である。
台湾も米中の狭間にあって憂慮すべき状況にあるとはいえ、豊かな食文化を誇る。昨秋、翻訳が出た台湾の詩人・文学者で
あり大学教授も務める筆名、焦桐(ジアオトン)氏による『味の台湾』(みすず書房)は食味文集として近来稀な書物である。これは著者が台湾の食味を求めて現代台湾の料理を味わい尽くそうと試みる本であるが、それこそ実に味わい深い。
台湾に住む大部分の人は大陸の福建各地から来た移民にルーツを持つが、台湾料理は「さっぱりして甘い福建料理」と「油が重く塩気の強い客家料理」を基調とすると著者は言い、特に豊富な小吃と水気たっぷりで主材料が汁に浸っているような料理がよく見られると指摘している。台湾で出た原著には合計160篇の飲食に関する短文が収められているとのことであるが、邦訳版ではその中から60篇が選ばれている。
いずれの文章も魅力ある台湾料理を伝えるが、私はその中から2篇を少し紹介してみたい。まず「爆肉」である。爆肉とは豚肉の細切り衣揚げのことで普通はこれに合わせて爆魚、魚切り身の衣揚げを一緒に皿に盛って出すのである。その由来は日本人がとんかつやてんぷらの技術を伝えたともいわれるが、台湾の爆肉と爆魚はさっと揚げた後、塩コショーかケチャップをつけて食べる。豚の赤身や魚の切り身を短い棒状に切り、下味をつけて小麦粉の衣をまとわせ揚げる。外はさっくり、中はしっかりと火の通った食感を表現するのが大事とのこと。これは日本の揚げ物の鉄則でもあろう。これを食べてまことに滋味であったと著者は記す。
私はとんかつが大好きなのでとんかつよりは少し軽めの爆肉も著者が挙げるいい料理店で食べてみたい。著者は知人の教授が亡くなったとき教授を知る友人たちを集めて「なつかしい味」と題する食事会を開き、爆肉爆魚を出したという。この短文をここに紹介したのは著者がある講演会のあと、そこにいた教授から声をかけられたが、その人は同じ父を持つ人で兄にあたる。父親から「小さい頃捨てられた」という著者は後日その兄と食事をして自分の幼少の頃のことや父のことを聞くが、その時の食事にも爆肉があった。そして数年前の清明節に兄から父の墓参りに誘われるが、捨てられたとはいえ父に対して何の恨みも持ってはいないが父を知らない。どうして知らない人の墓参りをしなくてはならないのかと自分に問い、断った。その後、兄からは連絡がなかったが、一度イギリスにいる兄と電話で話した。それが最後になった。「私は時おり兄のことを思い出すと爆肉と爆魚の香りが漂うように感じる」。著者の人柄、それに爆肉爆魚、生い立ちにまつわることがそれこそさりげなく記された滋味ある文章である。
さて「茶」について。これは「文山包種茶」と題する一文である。大陸も香港も台湾も茶に関しては実に詳しくその興趣の赴くところ切りがない。著者の妻は遠くに出かけるとき手土産に茶を買ったそうであるが、その茶は「文山包摂茶」。この茶の由来は諸説あるらしいが、現在では手摘みした柔らかな茶葉を使い焙煎してつくられ細長く固く締まった外観で青心烏龍などが適した品種とのこと。いい仕上がりは濃い緑色で光沢があり花のような香りがはっきりと澄み渡り「露に香りをこごらせたよう」。御夫人の秀麗さんがこの茶のように「淡麗」であったと彼女の追悼文を編んだときに若い頃の写真を改めて見て友人は言ったという。亡妻の思い出をさりげなくくぐらせたこの文もよき茶のような味わいがある。台湾茶の由来や歴史に言及し、また白居易の詩を引く。圧倒される様々な台湾料理の誘惑を身辺のことどもを交えながら記すこの『味の台湾』、訳文(川浩二)の素晴らしさもあってお勧めしたい一冊、それこそアジアを知る、その中でも日本にとっての本当に大事な国、台湾の美味滋味を知る好著である。
新年ついでにもう一冊、これも台湾がらみであるが、台湾の気鋭のジャーナリストが書いたジャズ喫茶案内、周靖庭・著、高智範・訳『台湾人ジャーナリストが見たニッポンのジャズ喫茶』(CDジャーナルムック)も素晴らしい一冊である。大音量のステレオでジャズレコードを聴かせるジャズ喫茶店はまさに日本文化、世界のどこにもない喫茶文化である。これを取材して素敵な写真と文で紹介するこの本は台湾で出版されたものの翻訳日本版であるが、ジャズ喫茶ファンにとってありがたくもうれしい本である。こんな本を書くジャーナリストがいて、出版される台湾に早く行きたくなるのである。
(政策研究大学院大学政策研究所シニア・フェロー)