いつもの箱を開けると白が無いことに気づく。大事な大事なシルバーホワイトを買い忘れていた。
大学3年の4月、人間をじっくり描いてみようとモデルを描くクラスに入った。
モデルの姿がキャンバスに表れ始めたある日のことだった。
シルバーホワイトを追加しようとした時、それが無いことに気づく。
すぐにでも学内の画材屋に行きたいが、画材屋は遠いし、ポーズ中は教室のドアは鍵をかけているし、私の買い忘れの為に中断させるわけにはいかない。
休憩まで待てば買いに行けるが次のポーズ開始まで5分しかないので戻ってこれるかもわからない。
――――「削ってみよう。」
一瞬、頭の中がぎゅるんとし、大きめのペインティングナイフのナイフ部分を握りしめる。
思い切ってモデルさんの下に敷いていた布を描写するように乾いた絵の具を削ってみた。
下地にイエローを全面に塗り、表面には暗い色を塗っていたので結果的には金色にチラチラと輝くような効果が出た。絵の具が乾いてカチカチの画面を削り終えた手はとても痛かったが、輝く画面と初めての感覚にワクワクドキドキしていた。
このワクワクドキドキを大事にして今日まで削り続けている。
カッターやリューターなど、前とは違う道具を使って削っているが今でも感覚は変わらない。
あの時、シルバーホワイトを買いに行かなくて本当によかった…。
単なる日常に、光を与えてくれるきっかけとなることは沢山ある。
あの日は忘れられない日になった。
市川 光鶴(いちかわ・みつる)
1983年愛知県生まれ、武蔵野美術大学大学院造形研究科油絵コース修了。現在独立美術協会準会員。幼少期より画家を志し、公募団体展中心に出品を重ねる。2019年独立展にて損保ジャパン日本興亜美術財団賞受賞など受賞多数。スグラフィート(削り出し)技法を応用した下地で複雑なマチエールと絵の具の厚み、虹色に輝く画面作りを目指す。作品コンセプトの根底には、「Night sailing journey」というユングの心理学概念が潜み、鏡などのモチーフを通して「虚像」と「現実」、「光」と「闇」、「朝」と「夜」などを描くことで「生」と「死」を見つめる問いを投げかける。
10月26日~31日日本橋三越本店にて個展開催予定。
【関連リンク】市川光鶴公式ホームページ