未来の資料―香港のアジア美術アーカイヴ1
黒田雷児(福岡アジア美術館学芸課長)
10年位前からだろうか、国内外の現代美術業界で「アーカイヴ」がしばしば語られるようになった。ある日本の国際展では3年ごとに運営者が入れ替わってしまうから「アーカイヴ化」が必要だとか、美術関係者の聞き取り記録をネット上で公開する「日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ」が立ち上がるとか。
しかし美術アーカイヴについて考えてみるたびに絶望的になる。美術館や図書館なら広範に利用されるだろうが、出版されていない雑多な資料までも必要とするのは、高度に専門的な研究者だけであり、目に見えるか数値化できる「成果」や「効果」を生まないと金も組織も動かないのが現在の日本であるから、ごく少数の「マニアックな」現代美術の専門家のための収益ゼロの事業の重要性など認知されるわけはないからだ。
これまでのアジア各地の調査で、美術関係者が自宅に膨大な美術資料を保管していたり(火事が出たら一巻の終わり)、棚や箱につめこまれているだけで何の整理も管理もされていなかったりするのを見るたびに呆然とした。収集のための経費を別にしても、保管場所の確保と管理、分類やデータ化や検索システムの構築、公開するためのIT技術や著作権処理など、それをすべて恒久的かつ発展的に行なう必要を考えれば、アーカイヴは絶対に個人で運営できるものではない。
しかしそのような美術アーカイヴが、全アジアで少なくともひとつ存在する。2002年に創立された香港のアジア美術アーカイヴ(Asia Art Archive、以下AAA)である。
多くのギャラリーがある上環に位置するAAAには、書籍、雑誌、DVD、案内状、少部数のパンフレット、美術関係者の持っていた写真や映像資料、個人的な通信やスケッチなどの、現物またはデジタル化した資料3万2千件が保管され、ウェブサイトで検索できる。しかしAAAの活動は、「文献庫」という名称をはるかに超えた広がりがあり、すぐに役立つネットでのニュース配信やアジア全域の美術館やアート・スペースへのリンクなぞ序の口にすぎない。
10年間に150回を超える講演会、討論会、ワークショップ、展覧会などを香港だけでなくニューヨークでも開催し、レジデンス、研究支援、その成果のネット上での公開も行なう。資料集めプロジェクトも拡大を続け、展覧会別、都市別、組織別、所蔵家別(東南アジアのパフォーマンスの映像記録を含む)などですすめられた。
さらに驚くべきはオンライン・プロジェクトである。「未来の資料」と名うって4年間を費やした1980年代中国現代美術アーカイヴは、デジタル化された7万件(!)の資料、75人の美術関係者へのインタビュー映像から成り、世界に知られるインド美術カップルである作家ヴィヴァン・スンダラムと評論家ギータ・カプーア所蔵の9836件の資料などとともに、すでにネット上で検索できAAAに行けばデジタル画像で閲覧できるが、この夏あたりには画像までネットで公開される予定だという。
この驚異のアーカイヴを支える思想や運営システムについてはまた別の回に。
「新美術新聞」2012年3月21日号(第1275号)3面より
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