若者よ、文化に親しめ
大原謙一郎(公益財団法人大原美術館理事長)
いま、日本の為政者たちは、教育の場から文化、芸術、人文学の香りを消し去ろうとしているように見える。この国は大きな過ちを犯しつつあるという気がしてならない。
私は私立美術館の経営者であるが、その前は、「新しいもの好き」で知られる化学メーカーで仕事をしていた。そういう会社だから、仕事の中で、世界のトップ企業で新規事業を推進するクリエイティブな開発技術者や新規事業開拓者と出会う機会が多かった。
そういう彼らの多くは、科学技術一辺倒ではなく、文化芸術に親しむ心を持った人たちだった。中には、音楽や美術の分野で半端ではない実力を持つ人も少なくなかった。彼らのクリエイティブなパワーは、技術力だけではなく、文化や芸術、文学や詩歌などの素養にも支えられていることを実感させられた。
理科系の教育は、現場での優れた問題解決能力を持つ人材を育てるためには有効である。しかし、新しいものを生み出す飛躍力を秘めたクリエイティブな力は、それだけでは育たない。そのような力は、豊かな知見と高い知的能力に加え、美術に親しみ音楽を楽しみ小説や戯曲に夢中になるやわらかな心からのみ、澎湃とわき出でて来るのである。
新しいものを生み出す力を失ったとき、国は衰える。教育の現場から文化、芸術、人文学の香りが本当に失われるとしたら、この国の将来は危ういと感じざるを得ない。
私自身について言えば、私の発想はどちらかと言えば理科系だと思う。だからこそ、中学高校でユニークな芸術系の先生に出会えたことは幸運だった。それが、私の思考と行動の幅を大きく広げてくれた。
そのなかに、Sさんという美術の先生がおられた。日本画の画家だったが、花鳥風月をこよなく愛するロマンティストだった。私たちを写生の実習に連れ出す時などは、近所の寺の小さな花に目を奪われて生徒のことは放ったらかしということもよくあった。
そのS先生は、生徒たちからは深く慕われていた。教師としては型破りだったし、絵のスタイルが古臭いことは生徒たちにもよくわかっていた。しかし、そんなことはどうでも良かった。青春の悩みを抱えた生徒たちは、時々先生の汚い下宿に押しかけては、いろいろおしゃべりし、何か新しい安心をもらって帰って行くのが常だった。
生徒たちは、S先生の心の中にある、理科や社会の先生とは違う何ものかを感じ取っていたのだろう。そういう意味で、S先生は、時には厳しい学校生活の中で、生徒たちの心のオアシスのような存在でもあったといえるだろう。
今、中学高校で学ぶ生徒たちは、文化芸術人文学に接する機会を減らされると同時に、S先生のような人格に接する機会もないまま学舎を後にすることになるのだろうか。もしそうだとすると不幸なことだと言わざるを得ない。
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「新美術新聞」2013年7月11日号(第1317号)2面より