彫刻を生きる
大成 浩
私は彫刻家として50余年経つが、私の『美術と教育』は、自分の研究とその経過を若者達に語り、見せる、その繰り返しである。大学院修了後、自分の研究を進める為には、場所の確保と生活の糧を得ることが必須となり、「教えながら」という道を選んだ。それはそれで有意義であったが、大変厳しいものでもあった。
まず芸術、美術とは何か、何を目指すものか、その中で何が教えられるものなのか、教えるとは何か、等々、私にとっても、極めて基本的な段階からの始まりであった。
38年間、学生達に接して来たが、その間、その道の先達として、次々と現れる若者達と、彫刻という表現について熱く、強く議論して来たが,未だその語りは尽きていない。何故なら、学校教育期間は短く、その後の社会にこそ教育の本質が在ると思うからである。
彫刻の場合、こちらが熱心に指導しても卒業後5年位で各自の方向が異なっていき、この道で1割残れば多い学年だと言われる。同じ道を進もうとする後輩を育成する立場になり、やはり彼らの「行く末」という壁にぶつかった。彼らも大学を卒業すれば、彫刻制作のスペースは得にくくなるが、石彫の場合は、特に困難である。私は自分の制作場所を立ち上げ、「アトリエ風」と名付け、そこに、共に石彫を続けて行きたい若者を迎えた。多い時には15、16名が一斉に石粉を立てて制作に取組むこともあり、石彫工場の体であった。今年で31年目になるが、全在籍者は20余名を数える。設立当初の目標であった公募展(国展など)で受賞すること、会員となること、文化庁研修員などとして国内外で研鑽を積むこと、「アトリエ風」のグループ展「石空間展」や各自の個展を開催し、様々なコンペや彫刻シンポジウムにも招待されること等々、考えられる限りの作家活動を各自が黙々と行って来た。そこには、一彫刻家集団としての歴史の時間が、絵巻物のように、淡々と延々と流れている。
この様な作家集団は、国内外で珍しがられている。しかし、その維持、継続は並大抵ではない。日々変化する社会との対応が必要であり、しかも避けて通れないことが多い。「アトリエ風」メンバーの作品100点近くを、各地で「野外美術館彫刻展」として展示しているが、それに伴う諸問題から、社会矛盾や矜持との戦いもある。作家としての力の限界を感じることもあるが、理想を掲げた美術運動は今後も続けていきたい。
また、私は国内外の美術大学で講演する機会があるが、その際、学生達には、「表現者としての技術や手法は、時間と共に習得出来るものが多いが、何を表現したいか、つまり『君は君の詩をどう歌うのか。その中に今があるか。』」という問いかけをしている。「人は『表現』することによって自分の存在を認識する。自己認識は広い視野で、ものの後先を見通して結晶したものである。その為の仕掛けとして、芸術家の活動における各種の挑戦や経験が必要であり、それが自らの土壌を育むことになる。これらの活動の複眼化が内容を豊かにする」と、これからも伝えていきたい。
彫刻家は、材料と技術の組合せを独自化した構造として作品を造る。特に野外のような大空間と彫刻の組合せは、理論上の概念だけでは成立しない。それは極めて体感的空間から体得するものである。このことは、私が、国内外の彫刻シンポジウムに参加し、また自らも八王子市や関ヶ原町で彫刻シンポジウムを企画・運営した経験から確信したことでもある。
これらの事象は、長い作家生活での多くの失敗から得た私自身への「教育」、つまり生涯教育でもある。
(彫刻家、国画会会員)
「新美術新聞」2013年9月21日号(第1323号)2面より