[新美術時評] 美術と教育〈10〉中島千波

2013年10月22日 16:31 カテゴリ:エッセイ

 

世代を超え表現を競う

 

中島千波(日本画家、東京藝術大学名誉教授)

 

私にとって学校教育に対する考えが変わるきっかけとなったのが、東京藝術大学で教鞭をとり始めた40代後半のことです。それまで院展を中心に、横の会などに発表していましたが、絵を描く上で、筆や紙、あるいは表具などの職人さんがいて、絵描きもいる、という考えが、この頃より強くなりました。絵描きがいても、下地が出来ていなければ、絵は描けない。さらには小さな頃から、ある一定の方向性を持って勉強をしていないと、職人そしてアーティストも生まれない。ということは、小学校、中学校くらいから、専門教育に向かう道筋を、教育制度として作っていかないと、技術的に遅れてしまうのだと思います。

 

2012年11月退任記念展「中島千波 人物図鑑」の会場で 宮田亮平・東京藝術大学長と筆者(左) 撮影:竹見良二

2012年11月退任記念展「中島千波 人物図鑑」の会場で 宮田亮平・東京藝術大学長と筆者(左) 撮影:竹見良二

より才能のある子が専門の方向に行くことによって、技術が磨かれ、良い土台が出来る。アーティストの場合も早めにその方向で基礎を習って行けば、体に身に付き絶対に忘れません。何かを極めるということは、大学を卒業したくらいでは、遅いのです。ただ、教育は固めてしまっては良くないので、方向を見定めながらも、合わなければ別の方向に行ける環境があればと思います。

 

私が教えていたデザイン科でも、まず基礎が出来ていなければ駄目ですから、あらゆる基礎を集中講義的なやりかたで教えて行きます。その中で3、4年時になると、絵描きになりたいという子が決まってきます。その際、学生達には「絵描きは、直ぐには食えないからアルバイトをしながら、また援助をしてもらうことも含め、35歳くらいまでは親がかりという頭がないと難しいよ」と言っていました。

 

つまりは、生活のために売り絵ばかり描いていると、売れっ子になったとしても、絵描きとしての名声は上がらない、ということになるのです。売れるのが悪い訳でも、売れないのが良い訳でもない。ちょっとしたバランスなんです。結局、アートとしての内容があるか、ないか、ということは、世間の目を気にしないで絵を描く方向を自分で見つけて行かなければならない。弱いのではなく、強い、哲学を持った、大きな、太い柱が、絵にあるか、ということです。

 

学生には一番大事なことは「大きな画面で勝負をしなさい」と言っていました。ただ大きな画面で勝負する作品とは、どういう作品かということを、具体的に言ってしまうと、それにはまり込んでしまうので、絶対に言っては駄目なんです。教えている人間の人格と、習っている人間の人格は違う訳ですから、それを押し付けると同じ絵になってしまいます。

 

学生から贈られた「祝!! 退任」のパネルを前に挨拶する筆者

学生から贈られた「祝!! 退任」のパネルを前に挨拶する筆者

私の基になった作家の一人に速水御舟がいます。御舟が好きだということは「人真似をしない、自分のものを創っていく、先生も生徒も先輩も単なる友達」という院展の初期の考え方が好きだったんです。自分の考えていることを実現するための手段として、テーマを変え、形を変えることが初期の院展では当たり前であった。何故かと言えば天心、大観、観山、春草もまだ20、30代と若く、世の中におもねるという考え方ではなく、自分の考えを芸術の世界で思い切ってやるというのが、彼らの考え方でした。

 

私もそういう気持ちを持って進んで行きたいと、30代後半に横の会の結成に参加し、現在もArtist Group -風-を通じて、この考え方を共有できる友を、世代を超えて作りたいと思っています。世界と日本を考えた時に、日本人は日本人としての、日本の土地柄、風土を特徴付ける表現方法が面白いのであって、より個人的な方が世界的になるのではないか。だからこそ、最後は教育で、学校教育がしっかりしていれば面白い人材がもっともっと出てくると思います。

 

 

【関連リンク】 Artist Group -風-

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