台湾の都市、建築
南條史生(森美術館館長)
森美術館で2011年に開催した「メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とヴィジョン」が台北に巡回したので、その開幕(7月12日―14日)に出席してきた。展示場所は、中山創意基地URS21という名前の一種のオルタナティブスペースである。これは市から引き受けた古い不動産を、企業が地域活性化を目的に文化施設として運営するというスキームに則って、忠泰集団という企業の文化財団が運営中の美術館だ。
メタボリズム展が台湾に巡回するということは、大変意味がある。台湾の都市計画には、歴史的に戦前からずっと日本が深く関わってきたということと、このところ経済発展がめざましく、新たな都市開発も大きな課題だったからだ。
会場入り口の広場には平田晃久のフォリーや吉村靖孝のコンテナーを用いて構成された入場券売り場が作られて、雰囲気を盛り上げた。展示物は、森美術館の内容を再構成し、曲面を使った導線に沿って展開し、解説はそれぞれの建築家に焦点を当てた展示とした。
記者発表とレセプションは無事に行われたものの、他の一連の公式行事や槇文彦氏と団紀彦氏の対談レクチャーは、残念なことに台風接近のために9月に延期となった。
プレスや地元建築家の反応は大変よく、レセプションには1960年頃に当時、丹下健三の事務所にいたという建築家や、かなり日本と縁の深い建築関係者が集まり、盛況であった。いまさらながら、台湾と日本の歴史的関係の深さを感じる集まりとなった。
さて、台風で行事がキャンセルになったので、ふたつの街を訪問した。一つがイーラン(宣蘭)という台北の東40分ほどの地方都市で、ここにはファン・シェンヤン(黃聲遠・Huang Sheng-yua /1963年生まれ)という建築家の牙城である。米国で建築を学んでいるが、この地方都市に根を下ろし、都市の構造と歴史を読み直し、様々な試みを実現してきた。そして特に最近の最大の成果が、まさにメタボリズム建築の実現といえる市立文化センターである。この建築は高さ17メートルのキャノピーの下に、ギャラリーや諸室がつり下げられ、どう考えても1970年万博のお祭り広場の再生である。キャノピーには籠のような箱がつり下がり、そこはバンドのブースになったりする。ギャラリーの屋上も展望台のように公開され、周囲の街を見下ろすことが出来る。この建築家には一度日本で、話をしてもらいたい。
もう一つが台南で、最近文化を使った街造りがもっとも活発だと言われている。今回は林デパートという、戦前に日本が建てた古い建物を修復して、あらたに文化センターとして活用しようというプロジェクトを見た。もう一つはすでに営業している古いホテルだが、共用部や各部屋がそれぞれ、アーティストや映画監督などのデザインで作られていて、好みの部屋に泊まることが出来る、というものだ。このおかげで、周辺の街は、いまやカフェやおしゃれな店ができはじめて、活況を呈している。いずれもアートと建築が街に新しい価値を付け加え、ライフスタイルを変化させた例だろう。
今年10月に六本木ヒルズ、森美術館の10周年で、Innovative City Forumという国際会議を開催するが、こうした新しい価値創造とライフスタイルの変化について議論する予定だ。
今回の台湾訪問は、台風のおかげで、まさにその下調査にもなったといえる。いま、やはりアジアの都市が熱い。
「新美術新聞」2013年8月21日号(第1320号)3面より
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