“誰も誉めない勇気”なるほど。
エレベーターに飛び込んだとたん、後から“ギューチャン”と元気な声が。何と赤ちゃん(赤瀨川原平)。懐かしいではないか。赤ちゃんは車椅子、奥さんが押している。
あっ!思えば50年前、新宿は百人町吉村アトリエ、ネオダダのドタバタパーテー、飲めや踊れの騒ぎの中、赤ちゃんは壁の花、当時から胃の手術とかで裸にならない。資生堂グループ展のオープニング、赤ちゃんはスピーチを途中で止め、“体が良くなってから”と續かない、体調が良くないと聞いていたが。居合せた田中、吉野、ネオダダの生き残りを集め記念撮影、この直後入院、そして。
赤ちゃんの九州からの気の合う親友風倉は、彼と正反対に、小柄、粘液質、よくペラペラ喋るアーティスト、ネオダダ材木座ビーチショーに参加、“何かゆってくださいよ”のテレビに答え、ぼくらは風倉を、海草で簀巻きにし、海にたたき込んで引き上げたり、市営プールの十米の飛込台から係りの制止もきかづ、飛込んだりのタフガイ。
“誰も誉めない勇気”の赤ちゃんのエッセイでは、初めて出っ喰した、ぼくのモヒカン刈のショックと風倉に言及。他人のステージの片隅に、無断で、勝手に椅子を持ち込み坐り、ゆらゆらと少しづつ揺らしだんだん大きくなり、アッと思ったら椅子ごと床に倒れる、骨にひびく。それもあちこちの他人の舞台でやるらしい、この二人が赤ちゃんの云う勇者である。
誰も誉めない勇気は、世界中の前衛アーティストに通じるね!
体感したものを、言葉で端的に表現する彼は、胸を打つ芸術感動を、“ピカー”と来るんだよ! と云う。有名なゴッホの最晩年作、黄色い麦畠に無数のカラスの飛び交う絵の複製を見た小林秀雄は、感動でしゃがみ込んでしまう話を、著書、“ゴッホの手紙”に書いているが、そんな大袈裟に騒がなくても、“ピカッ”と来たの一言でちょん。
ヨモダ君(四方田犬彦)に、トマソン知ってるか? と聞かれた、大リーガーで三冠王確実と売り込んで来たらしいけれど日本のピッチャーに手も足も出ず、バットをブンブン振り回すだけ、あだ名が人間扇風機、このトマソン君にひっかけて、例の路上観察学会が、発見する、使用してないビルの階段、とっ手だけ残して塗り込められてこまったドアーとか、とにかく置きっぱなし、忘れ去られているのにしっかり存在感を主張している無用の長物の代名詞に、トマソン君の名前を付けた。ヨモチャンは、アメリカに来てるんだから、トマソンに会いに行って、この話を伝えたいと云う。相手はもと大リーガーらしい、アカデミー賞やピュウリッツアー賞と同格の御世間から尊敬の的のセレブだ、無用の長物の代名詞とは何事ぞ! となぐられるかもよ!
有司男
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