ナカガワ胡粉・土絵具「勧修寺黄土」
20歳で師を持たず油絵具を捨て岩絵具を揃えたが、膠の煮方さえ解らなかった。
油画から転向した私には紙と水が心許なく思えた。
板、白亜、木綿、麻、金、あらゆる下地に不確かな膠で岩絵具を置き続けた。
下地を組み絵具を擦り込み、燃やした、湯屋で泣いた、その繰り返しだった。
気紛れに亜麻布に泥を塗ったが、惨めに濁った染みが出来ただけだった。
失敗を湯で洗い流そうとした瞬間、泥は弾けるように発色した、それは私だけの理想の肌色に見えた。
そうか洗うのだったか。
その肌色の染みに女の横顔を描いた、それが最初の一枚だった。
私は28歳になっていた。
その頃、ある美術年鑑編集者に出会った「僕は20万人の画描きを知っているが、未だ知らぬ画描きがいたのか」M氏は笑った。
それから彼は毎夜私を旧花街に連れ出して、貧する私に飯を食わせた「この男はろくでなしだが画描きだ」そう言って私の一枚だけの画を女将や女給に見せた。
それが何の作法なのか解らなかったが嬉しかった、私は本当に画描きになれるような気がしたのだ。
再現しなければならなかった、亜麻布を泥で染め洗う、色帖を作り続けた、ナカガワの土絵具を見付けた時、救われたと思った。
私は38歳になっていた。
新しい一枚を持ってM氏に会った、「十年間なにをやっていたんだ、ろくでなし、今夜は美人を探しにいかねばならん」
私は嬉しかった、旧花街で酔いながら私は本当に画描きになれるような気がしたのだ。
池永康晟 (いけなが・やすなり)
1965年10月3日日本国大分県津久見市生まれ。
大分芸術緑丘高等学校卒業後、上京して独学で日本画を描き始める。
今後の主な発表予定に2015年10月22日~31日、個展(銀座・ギャラリーアートもりもと)、10月30日~11月2日、「アート台北」出品(秋華洞ブース)。芸術新聞社より画集『君想ふ百夜の幸福』発売中、『2016年カレンダー』が秋頃発売予定。
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